Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。

アネマリー・モル『多としての身体―医療実践における存在論』

 

多としての身体―医療実践における存在論 (叢書・人類学の転回)

多としての身体―医療実践における存在論 (叢書・人類学の転回)

 

 

授業で一度は読んだのですがちゃんと理解できてない部分が多い気がしたので、改めて読み返すがてらメモとしてまとめてみます。 用語については自分が理解しやすいようになるべく簡単にしています。

目次

日本語版への序文

はじめに

第一章 疾病を行う

第二章 様々な動脈硬化

第三章 調整

第四章 分配

第五章 包含

第六章 理論を行う

 

解説

医療人類学の本。オランダの大学病院で動脈硬化について1990年頃にフィールド・ワークを行った結果をつぶさに記述しながら理論を丁寧に浮かび上がらせる。そのため、もちろん具体的なことについて語られているのだが、語られている概念は医療に限定されない。

 

モルがブルーノ・ラトゥールやジョン・ローとともに提唱するアクター・ネットワーク理論(ANT)やマリリン・ストラザーンの概念を民族誌の中で丁寧に実践しているため非常に勉強になる。

 

またモル自身も読みやすいように心がけているし、翻訳者にも分かりやすさを優先させて欲しいとのことであるため、本文もストラザーンのように読みにくくないのが嬉しい。

 

※本書の構成について。上段に民族誌、下段に(少し小さめな字で)理論・文献について、というように分けて書かれている。これはモルが「どのように文献と関連づけるか?」(p.26)をもうひとつのテーマとして取り組み、これによって人類学を実践していくことを示している。往復しながら読むと理解が進む。

 

でははじめからまとめていく。 

 

「疾病」と「病い」の区別をやめる

パーソンズをはじめとするような、これまでの医療人類学、医療社会学は医療について「疾病」と「病いやまい)」に分けた。これは現在の研究でも用いられることが多い。

これはつまり「疾病」を生物医療のものとして、「病い」を生物医療以上のこととして区別することによって、社会科学が医療について語れるようになったことを示している。

簡単に言えば、病気について専門的なことは知らないけど、病気にまつわるような心理的・社会的な解釈(例えば、ガンになったら世界の見方が変わったとか、病人は社会ではこう扱われているとか)もできるよねという話。

 

しかし、この枠組みでは「疾病」について社会科学者が分析することができない。だからモルはこの枠組みを壊すために本書においては(医療人類学が通常使う「病い」ではなく)「疾病」を一貫して用いる。

 

(また、この区別について自然と文化の区別との類比から考えつつ、その区別がもはや有効ではないことを書いている。)

(この意欲的な試みは社会科学の「軟弱さ」みたいなものを払拭することができると思うので個人的には好きです。)

 

では、動脈硬化とは何か?

ここでモルは単独で普遍的に存在するような客体としての動脈硬化があるのではなく、様々な動脈硬化が実践のうちにそれぞれ存在していると観察する。

言い換えれば、動脈硬化はある条件が揃った条件において一つ一つある(being)のである。

逆に言えば、ある条件が揃わないときには動脈硬化などない。

 

モルはこれを一つ一つ丁寧に見ていく。

(患者の切断された足をモルは専門研修医と一緒に顕微鏡で覗く。研修医がいう)…内腔の周囲の最初の細胞の層が内膜だ。厚い。…ここからここまでだ。見て。あなたの探していた動脈硬化だ。これだ。内膜の肥厚。これがまさにそれだ。 それから、少し間をおいて、彼はつけ加えた。「顕微鏡の下に」。(pp.60-61)

ここでモルは最後の「顕微鏡の下に」に注目する。

私の試みは、この最後の補足にかかっている。・・・肥厚した内膜はもはや独力で存在しているわけではない。顕微鏡を通して存在している。(p.61) 

つまり、顕微鏡をはじめとした器具、それが可能になる場所がなければ動脈硬化はない。

通常、近代的な発想ではここで、元からあった動脈硬化に対して顕微鏡を通して発見したと考える。しかし、モルはそのように考えるのをやめる。顕微鏡がなければ内膜の肥厚=動脈硬化はどこにもないのである。

 

そして、ここでいう動脈硬化は、問診室で生きている患者に症状を教えてもらいながら、あるいは足を触りながら診断する動脈硬化とは似ても似つかない。

なぜなら生きた患者から血管を取り出すことができないため、血管の観察などできないからである。

 

もちろん、問診によって動脈硬化であると診断された患者が死に、検視をする際に足を切断して顕微鏡で視ることによって血管内膜の肥厚=動脈硬化が診断されることはある。しかし、この二つがかみ合わないこともよくある。

 

つまり、それぞれの実践に実在としての動脈硬化は依存しているのである。

 

このようにモノをはじめとする条件(=アクター)が組み合わされた場合に、動脈硬化があることについてモルは「実行する(enact)」という言葉で表現する。

 

このようにしてアクター・ネットワーク理論を提唱する。ある実践において、モノや行為、条件などのアクターがそれぞれに影響を及ぼしながら、つながりであるネットワークを作る。このネットワークに動脈硬化がある。

 

医療実践における存在(オントロジー)は特定の場所や状況に結び付いている。(p.92) 

 

顕微鏡で視るときには内腔の侵食と血管壁の肥厚であり、診察室では運動の後の痛みであり、歩行中の痛みである。

 

ここで重要なのは、いわゆる「主観」(例:痛み)や「事実」(例:肥厚)を同格のものとして考えることである。これらはどちらもそれを取り囲むような道具や数値、会話などがあるため、それぞれ一つの実践として成り立っている。

 複数の動脈硬化を調整する

では、このようにそれぞれある存在としての動脈硬化は全くバラバラなものとして病院にあるのか?いや、そうではない。

病院には異なる複数の動脈硬化が存在しており、それらは差異があるにも関わらず、複数の動脈硬化はつながっている。実行された動脈硬化は、一より多い―しかし、多よりは少ない。多としての身体は断片化されていない。…したがって、問われるべきなのは、これがどのようにして達成されているのかである。(p.92)

 

第三章ではこのように複数の動脈硬化が取りまとめられて扱われる方法について記述している。

モルによればその方法とは一つが加算すること、もう一つが較正されることである。

加算

二つの客体としての動脈硬化(ここでは検査結果)が一致しないとき(例:患者の歩行中の痛みにも関わらず、血圧には異常がないとき)は実践の内容の検討=括弧をはずす(例:血圧測定のプロセスについて考える)によって、片方の検査結果が勝つ(例:血管が石灰化しすぎていて圧迫ができなかったことが原因だと断定⇒痛みとしての動脈硬化が勝つ)。

これによって、患者は一つの動脈硬化をもつことになる。(p.108)

 

あるいは、二つの動脈硬化(ここでは歩行中の痛みと血圧の低下)が患者にある場合、二つの治療法(歩行療法とカテーテルを入れる手術)はそれぞれに対してしか効果を上げない。(この点で動脈硬化が二つ客体としてあることが再び示される。)

しかし、患者が「よくなる」という点を基準として打ち立てることで一つの動脈硬化として扱う。

ここでモルは「ラザフォードの成功の基準」を例に挙げる。これは歩行中の痛みの改善と血圧の低下のどちらもを患者の「よくなった」指標として考える基準である。これによって動脈硬化が単一性をもつとするのである。

この場合、動脈硬化が二つあることについてはそのままにされる。つまり複合的な客体となる(=パッチワーク:これはストラザーンの概念)。

較正

二つの検査結果(ここでは血管造影と超音波)が合わないときには、パラメーターを設定することによって、一方の結果がもう一方の結果として表現できるような(=翻訳)相関研究が示されることによって、比較が可能になる。

 

このようにして複数の動脈硬化が取りまとめられる方法について第三章で説明された。

しかし、別の場面を見てみると必ずしもそれぞれの動脈硬化は取りまとめられているわけではないことがわかる。

分配

むしろ、日常的な検査・治療における動脈硬化は「普遍・一般的」な動脈硬化が求められることもまれで、それぞれの条件(患者の状態、治療の方法…)に分配されている。

第四章ではその分配のされ方に四つの形式を挙げているが、最もわかりやすいのは治療の際の形式であろう。これがよく示された部分を引用する。

治療実践において、動脈硬化は、迂回されるもの、削り取られるもの、わきに押しやられるものの、いずれかの単一の実在にもならない。それら三つの実在のすべてである。しかし、三つ同時にではない。それらの実在は、異なる患者集団に、適応基準に従って分配されている。(p.154) 

 

ここで「迂回されるもの、削り取られるもの、わきに押しやられるもの」としているのは手術の方法のそれぞれパイパス手術、動脈内膜切除手術、カテーテル手術を示しており、実践において扱われる(処置される)という意味での客体=対象としての動脈硬化はそれぞれの患者の状態によって当てはまる(=分配)。

 

このように、全てを統合するような一つの実在としての動脈硬化は実践においてはなく、それぞれに割り当てられている。

しかし、医師たちはあくまで「動脈硬化」という言葉をすべてに対して用いる。この言葉こそがそれぞれを架橋し、取りまとめるメカニズムであるとモルはこの章を締める。

 

包含

第五章では、それぞれの実在としての動脈硬化同士の関係について記述している。

この関係とはどちらかが大きい、小さいという推移的な(transitive)関係ではなく、非推移的な(intransitive)関係である(p.173)。

例えば、人口学的な統計としての動脈硬化は個人の動脈硬化の集まりによって示されるが、逆に個人の動脈硬化の基準(コレステロール値の正常値)は人口学的な統計から示される。

このように見れば、どちらかが大きい、小さいという関係、つまりどちらかがどちらかを包むというような全体性は想定ではない。

むしろ、それぞれの実践は隣り合っていて、スイッチのように切り替えられるものであるが、互いに包含し合っている。

そしてそこには摩擦があるような緊張関係も存在する。

 

理論を行う―オープン・エンド

さて、ようやく最終章「理論を行う」。

上記のように本書では疾病について書くということを行ってきたがここでモルは結論を書かない。

しかし、これは何をしたことになるのだろうか?この記述とともに行われたことは、何だろうか?本書の物語は、最終的に医療実践についての真実を明らかにするものではない。(p.213)

通常の本としては、ある真実について明らかにするということが目的として考えられており、その真実について、いかに「正確に」記述するかによって本の価値が決まると思われる。

しかし、モルはこのこと自体について疑問を呈している。

これは間違いなくポストコロニアル論争に対しての一つの提示である。

本書は、脱身体化された思考から離れて、さらなる一歩を進んでいる近年の研究潮流の一部である。これは客体を見ようとするまなざしを追うことを止めて、代わりに客体が実践のなかでまさに実行されているさまを追うことを意味する。つまり、強調点が移行している。観察者の目の代わりに、実践者の手が、理論化の焦点となるのだ。(p.215) 

 

知識はもはや、実在についての言表ではなく、他の実践に干渉する一つの実践だとされる。こうして知識は実在に参与する。(p.215)

このような意味で、最終章のタイトルは「理論を行う」なのである。

では、このように実践への転回を経た今、実在について「いかに確信できるか?」ではなく「いかに疑いとともに生きるのか?」が問いとなってくる。(p.230)

このようにして(学問、研究において)「何をすべきか」という問いが、もはや「何がリアルなのか」に依拠しないのであれば、「この実践はそこに関わる主体(人間であれそれ以外であれ)にとってよいか?」という問題が重要になってくるという。

つまり、善がより意味のあるものになってきたとして、231頁以降は(又聞きかつ未読なので確かではありませんが)2008年のThe Logic of Careにつながる話が書かれている。(『多としての身体』の原著は2002年)

最終的な結論がなくとも部分的=党派的(パーシャル)であることは可能であり、オープン・エンドであることは固定化を意味しない。(p.254)

 

さいごに

では、長くなりましたが感想として一言だけ。

実践について詳細に分析することで理論を丁寧かつ実証的に記述しているのはさすがという感じ。そして、本書も一つの実践として考えることで新しい民族誌の可能性について提示しているという意味で人類学にとっては希望の書ではないだろうか。

 

以上です。間違っているところなどありましたらコメントください。

 

『インディオの気まぐれな魂』Vol.2 他者ではなくて他者性 文化を捉え直す

 

インディオの気まぐれな魂 (叢書 人類学の転回)

インディオの気まぐれな魂 (叢書 人類学の転回)

 

 

前回が長くなってしまったため分けました。今回も最後まで行けなかった。

今回はp.31~p.52。インディオのヨーロッパ人への対処が構造主義的に分析されており、文化を捉え直しています。

 

 

インディオは宣教師たちに〈彼岸〉の情報を求めた。それは宣教師たちにとっては都合の良いことのように思われた。彼らは「確たる神をもたない」「白紙」(p.34)の状態であるため、神を信じさせることは容易に思われたからである。

 

インディオたちはキリスト教の終末観、最後の審判に驚嘆し、宣教師たちに長寿と健康を求め、宣教師が死を司るものとして畏れた。

 

ここで見られるようなインディオたちの言動を考えるにあたって次のようなことが言える。

 長寿、豊かさ、戦争での勝利―つまりは「悪なき大地」の主題である。イエズス会の司祭たちは、トゥピナンバにおけるシャーマン、カライバに同化されていた。この同化は、ヨーロッパ人が超自然的な力をもった人物として分類されたという文脈で読み解かなければならない。(p.39)

造化の神の名前「マイール」がフランス人を表す民族名であり、造化の神やシャーマン、文化英雄を表す「カライバ」が司祭のみならず、ヨーロッパ人一般を指示するようになった。

 

この「解釈」は隠喩以上のことである。(p.40)

つまり、フランス人を神に「例えて」いるだけではない。

 

ここではレヴィ=ストロースが分析した神話における主題について参考にできる。

人間の条件(社会的にして死すべき存在であること)が確立する、人間と文化英雄の区別、これに関わる神話的な母型がインディオとヨーロッパ人の区別を思考するのに役立ったのである。(p.41)

 

ここはがっつり構造主義かと思う。人間と文化英雄との違いは、インディオとヨーロッパ人の違いに当てはめられる。

(これは『森は考える』にも出てきた)

 

そしてインディオがヨーロッパ人に対する畏れはヨーロッパ人に対して崇拝(クルト…ここでは天上のもののように崇めるイメージか)を意味するものではない。

インディオにとって人間と神は実体としては同じであり、ある基準によって区別されたものである。

つまり、全くの「別物」(ここでVdCは「存在論的障壁」(p.45)という言葉を使っている)として、乗り越えられない絶対的な違いとしてヨーロッパ人があったわけではない。

 

むしろ、その違いを克服する可能性を持つ他者性を持つものとしてヨーロッパ人はあった。克服は婚姻によって行われるため、ヨーロッパ人に対して妹や娘を結婚相手として差し出すことがあった。そしてそれは「非常な名誉」である。

 

インディオにとっては関係的な親和性=婚姻関係(アフィニダージ)が肯定される価値としてある。

そして、このようにして他者を取り込み、自己に同一化させるという行為(食人を含む)をインディオは続ける。

 

ヨーロッパ人が崇拝されたのはまさしく「別の世界から」やって来たからであり、それゆえ外部性の使者であり、魂、死と親しいものであったからである。(p.48)

 

ここでVdCは「文化」についてこう述べる。

文化とは、一つの信念の体系ではなく、むしろ―それは何かでなければならないので―多様な伝統的内容を支持し、また新しい内容を吸収することのできる、経験の潜在的な構造化の総体である。すなわち、それは文化化する装置、あるいは信念を加工処理する構成的な装置である。(p.49) 

言い換えれば、「これはこれ」「あれはあれ」というように絶対的なものとして固定的に配置されたものを信じるのではなく、「こういうものはこう」「ああいうものはああ」というような関係性の把握、認識、想像、創造の仕方が文化である。

 

このようにしてヨーロッパ人を取り入れ「魂を売った」とさえ思えるインディオたちが戦争をやめなかった。

いや、逆である。戦争のために「魂を売った」のである。

『インディオの気まぐれな魂』Vol.1 「気まぐれ」から宗教と「文化」について考える。

 

インディオの気まぐれな魂 (叢書 人類学の転回)

インディオの気まぐれな魂 (叢書 人類学の転回)

 

 

 

通称「赤い本」。「人類学の転回」のシリーズでストラザーンの『部分的つながり』やモルの『多としての身体』ほか現代の人類学において重要な論者の翻訳を出している。

 

本書の著者であるヴィヴェイロス・デ・カストロ(以下VdC)はアマゾンにおける世界の在り方をパースペクティヴィズム(Perspectivism)として説明し、それを西洋における世界の在り方と対比させていることで有名。

 

本書にもパースペクティヴィズムが出てくるかと期待していたが出てこなかった。

 

しかし、人類学における記述の問題(誰が文化を書くのか)や政治的な立ち位置を意識しているだろうことはよく分かり、興味深い。(このことに関しては訳者解説に詳しい)

 

というのも、本書が民族誌的データとして取り上げているのは、アメリカ大陸「発見」以後の16世紀から17世紀にかけて行われたイエズス会宣教師による活動の記録だからである。

先住民ではない者が彼らに接触した際に感じることは、数百年の年月が流れた現在のフィールドワークの際にも同じように感じることが多い。しかし、VdCは宣教師とは全く異なった視点で彼らについて分析を施す。本書の中で行われる分析、インディオに接した宣教師の視点自体を分析すること、この行為自体が文化を書くとはどのようなことなのかについて真摯に向き合っているのではないだろうか。

 

本書の構成は「一六世紀ブラジルにおける不信仰の問題」「トゥピナンバはいかにして戦争に負けた/失ったか」の二本立てで、前半は宣教師による布教活動の記録からインディオの気まぐれさについて考えられており、後半は布教の失敗の原因でもありインディオの社会において基礎的な意味を持つ戦争、復讐がどのようにして行われないようになったのかを示している。

 

では、さっそくまとめと解釈。(Vol.1は始めからp.30までです。)

 

先述の通り、本章にはテキストとして宣教師による布教の記録が掲載されており、それによって当時のインディオの姿が描かれている。

それには先住民たちが、いとも容易くキリスト的な神を信じ、救いを求めていたはずが、その特有の「気まぐれさ」によって態度を変え、すぐに(宣教師のいうところの)「悪習」―食人と復讐のための戦争、酒盛り、一夫多妻、裸でいること…―に戻ってしまうということが記述されている(時々完全なる愚痴)。例えば以下のようなものがある。

「私が彼らのうちに見出した最大の困難が何かご存知か?誰に対してもはい、あるいはパと、すなわち、仰せの通りに、と言うことに気がねがないことだ。彼らはあらゆることにすぐ賛成し、そしてパ[はい]というのと同じような気軽さで、アアニ[いいえ]と言うのだ……」(p.20)

宣教師たちにとって、インディオの問題とは活力のない意志と、(キリスト教と対立する独自の教義のようなものではなく)「悪習」にあるとする。

そして、インディオを改宗させるためには福音を説くことではなく「文明化」をすることが必要であると考えた。

 

このような宣教師たちの在り方をまとめたうえで、VdCは次のように本書の関心を明記する。

私が関心をもっているのは単に、イエズス会士やその他の観察者たちが、トゥピナンバにおける「気まぐれさ」と呼んだものを解明することだけである。それは、別の呼び名がふさわしいかもしれないが、疑いなく現実の何かに対応している。それは、存在することの様式でなければ、宣教師たちの目にトゥピナンバの社会が現れることの様式であった。この様式を、インディオイデオロギー過食症という、より広い枠組み、つまり、神、魂、そして世界に関するキリスト教的な知らせに耳を傾け、それらを消化吸収した際のあの強烈なまでの好奇心のうちに位置付けることが必要である。(p.23)

つまり、宣教師たちが感じた「気まぐれさ」について着目し、インディオの枠組みに再接合することを目的とするのである。

 

 VdCインディオの「気まぐれさ」を考えるうえで、西洋的な宗教観について見直す。

 

それはこの小見出し「宗教体系としての文化」に表されている。

つまり冒頭に書かれているとおり、

全体化する 排他的な言説を、熱狂的、ただしごく選り好みして受容すること、 その言説が示す道を結果までたどるのを拒むことは、宣教、すなわち服従と自己否定に自らを捧げた者たちにとっては、謎めいたもの違いない。さらにこの謎は、われわれ人類学者にも、今なお居心地の悪さを覚えさせるものと私には思われる。(p.24)

つまり、キリスト教の教えがすべての秩序なり体系を一貫して支配するものとしてあるならば、その教えの排他性(他の秩序を寄せ付けないし、他の秩序の一部もありあえない)から判断すると、インディオの気まぐれさは理解しがたいものとなる。そして、個々人が宗教的な様相をもとにして体系的な文化を持つ「信念の体系」にあると考えるような人類学者たちも同様にインディオに対しては理解しがたい。(p.25)

 

しかし、このようなキリスト教をはじめとする排他的で体系的な在り方とは違って、インディオの気まぐれさは、そのような体系的な文化あるいは宗教の対立ではない。

 

これは人類学をふくめて人々が想定するような文化概念を露わにし、批判するような非常にラディカルなことを言っている。端的に言うならば、

われわれの現行の文化の概念は、ギンバイカの像ではなく、大理石のそれが立ち並ぶ人類学的風景を映し出す。…(中略)…しかしながら、おそらく、その基盤(の不在)が他者への関係性であり、自己自身との一致ではない社会にとって、これらのすべての意味をなさない。(pp.29-30)

ギンバイカ(植物・木)の像と大理石の像の例は 冒頭の宣教師の言葉に出てきており、これは本書の重要なモチーフなのであるが、簡単に言えば木を剪定してできた像はすぐに作れるが管理が大変(伸びてくる枝を切り、整え続けなければならない)のに対し、大理石の像は作るのが大変だが、一度作ったら永久に変化しない。

そしてこれを言った宣教師によると、インディオは後者にあたるという。

 

VdCはこの例を再び用いて、人類学者のもつ文化概念においては、人びとには大理石のように強固な文化があり、それは一度変わってしまえは容易には変化しないと考えられていることを露わにする。

しかし、これを見直す必要があるとVdCは唱えているのである。まさしく人類学における文化概念批判を行ったジェイムズ・クリフォードを引用しながら。

 

これはよく考えてみれば当たり前のことである。

つまり、我々は他の「文化」(これは明確にあるのかはわからないが)に接触したならば、それは塗り替えられるようにガラッと変わってしまうというように考えがちである。

マクドナルドがアメリカから入ってくるなどして「アメリカ文化」たるものが「日本文化」たるものを押しのけて日本の人々を支配する、というようなイメージである。

 

しかし、そんな白黒分けられるものではなく、マクドナルドを食べながら日本っぽい(?)音楽を聞くみたいな感じで、「日本文化」が「アメリカ文化」にそっくり塗り替えられたわけではない。

そして、これを考えていくと「文化」の体系、基盤などあるのかという話になってくる。それが本書における「基盤(の不在)」とした「(の不在)」の意味であると考えられる。

 

 

このようにしてVdCはジェイムズ・クリフォードたちによる『文化を書く』の衝撃(=Writing Culture Shock)を真摯に受け止め、人類学の文化概念を乗り越えようとしているのである。

『森は考える』における思考・精神とは おじさんは何故わざわざ遠くからカモメに餌をあげたのか。

 

森は考える――人間的なるものを超えた人類学

森は考える――人間的なるものを超えた人類学

 

 

はい、『森は考える』です。

 

この本かなり売れているらしくて、人類学に興味を持ってくれる人が多くなればいいと思うのですが…民族誌的な記述を切り口の鋭さが非常に美しく整えていて普通に面白い。ただ、パースの記号論やスタンリー・カヴェルの「魂=盲」は難しくて正直半分くらいしか理解した気がしません。

 

熊本大学での集中授業の様子が詳細に記録されているブログなどあるようなので詳しい内容については検索してみてください。

また、この今回の記事にも参考にしたのですが、現代思想の人類学特集号にも翻訳者である奥野さんが書いた「『森は考える』を考える」が載っており、非常に簡潔にまとめられているのでご参考までに。

 

現代思想 2016年3月臨時増刊号 総特集◎人類学のゆくえ

現代思想 2016年3月臨時増刊号 総特集◎人類学のゆくえ

 

 

まあということなので、今回は自分の復習も兼ねつつ「思考」ということにポイントを絞って、経験と組み合わせながら書いてみたいと思います。

(本当はこれが一番メインの部分なのかもしれませんが)

 

まず、著者であるコーンは、人間の言語を記号のモデルであるソシュール記号論ではなく、記号についてそれが何であるか、どんな存在者がそれを扱うのかということについて不可知論的な立場をとるパースの記号論を採用する。

このことによって私たちは記号をより広くとらえることができるという。

この記号のより広い定義には、ご存知の通り、記号が人間的なるものを超えてもつ生命に、私たちが慣れ親しんでゆく助けとなる。(コーン p.55)

 そして、このアプローチを

「人間的なるものを超えた人類学」(コーン p.18)

 と名付けることができるとする。

 

すなわち、人間だけが記号を扱うことができると考えるのではなく、様々なものを含めて記号を扱うと考える。

ここでの記号、あるいは記号過程とは、何かが何かを表すことを示す。

例えば、奥野さんがまとめているように

南米・アマゾニアの森の中で、近くでヤシの木の倒れる音は、記号として樹上にいるウーリーモンキーに危険が差し迫っていることを知らせる。ウーリーモンキーは、その轟くような激しい音に生命の危険を感じて、その場から飛び退くであろう。(奥野 p.214) 

このとき、ウーリーモンキーは、木の倒れる音を身の危険についての記号として受け取り、それによって逃げる。

つまり、木の倒れる音はウーリーモンキーにとって身の危険を表す記号となる。

 

このようにして民族誌の中ではアリクイとアリの話やインコと案山子の話など、アマゾンにアヴィラの人々とともに棲むものたちの記号の在り方が出てくる。

 

コーンは記号をこのように捉えることを前提として考察を深めていく。イコン、インデックス、象徴…(このあとは自信ないです。) 

 

(そしてここからが自己・思考について)

というように記号を捉えなおしたうえで、記号と自己や思考について以下のように考える。

記号は精神に依存しない。むしろ逆である。私たちが精神あるいは自己と呼んでいるものは、記号過程から生じる。倒壊するヤシを意味あるものと見なすその「誰か」は、人間であれ非人間であれ、この記号とそれに似た多くのほかのものの「解釈」のための座となる―どれほどはかないものでも―おかげで、「時間の流れにおいてちょうど生まれたばかりの自己」である。(コーン p.64)

つまり、「ホムンクルスの誤謬」(心あるいは頭には小人がいて、人間の思考はその小人が思考・判断することによって行われると考えること。しかし、これはその小人の思考・判断は誰かという問いに小人の中の小人がいるというように無限に繰り返すことしかできない。) に陥ることなく、思考について考えることを目指す。

私たちは特に思考について考えるときに、何か精神=小人のようなものがあってそれが判断すると考えがちである。

しかし、このように考えたところで、その精神の説明をしたことにはならない。

コーンはパースに倣って、 精神を逆から考える。

つまり、精神があるのではなく、何かが何かを表すというその記号過程に精神を想定する。

精神が世界から切り離されていると考えること(デカルトのいう「我思う、故に我あり。」的な?)を拒否し、精神とはまさに世界から「ちょうど生まれたばかり」(コーン p.64)であると考える。

この逆転の発想は非常に刺激的かつ、説得的で面白い。

 

で、ここでようやく表題「おじさんは何故わざわざ遠くからカモメに餌をあげたのか。」に入る。

 

状況を説明すると、この前天気が良かったので家の近くの海にサイクリングをしにいき、堤防でぼーとしていると、地元の人っぽいおじさんが堤防に自転車を漕いでふらっとやってきて、カモメの群れが休んでいるのを見ると、一度引き返して少し離れたところで餌を投げ始めた。

カモメたちはそれを見るなり、続々とおじさんのほうへ向かって飛んできて餌をつついた。

 

ここで、私の中には一つの疑問がわいた。「おじさんは何故わざわざ遠くからカモメに餌をあげたのか?」近くであげればいいものの、なぜ離れたところからあげたのか。

 

そして、『森は考える』の上記のようなことを思い出し、おじさんにとってカモメの思考について思いを巡らすことができた。

 

すなわち、おじさんは、カモメたちが餌あるいはおじさんの登場を記号として受け取り、それをダイナミックな形で表現するように自らに向かって飛んでくることを願ったのである。

この工程によってカモメには思考・精神が「ちょうど生まれた」状態になった。

 

私自身もカモメに内在的な精神があるとは普段思わないが、この餌やりの光景にはカモメの精神を感じた。

 

「これこそが精神だ」私はそう思ったのである。そしておじさんもそれを感じるために餌やりをしにくるのではないだろうか。

 

カモメ、ハト、猫…いろんな動物にエサをやる人がいるが、その人たちの多くがそのものたちの思考・精神ひいては生命を感じたいがために餌をやっている部分があると私は思う。なぜなら、生命を感じることを喜びであるからだ。

 

そして、そのものたちがそれをダイナミックに表現するのを感じたいために様々な工夫を凝らす。猫に餌をあげるおばさんも口笛などで隠れている猫をおびき寄せる。

 

このように私たちは他の人やものの思考や精神、生命を感じ、感じたいと思っているのではないだろうか。

 

餌やりもこのように考えると面白いですね。終わり。

 

参照文献

奥野克己 2016 「『森は考える』を考える」『現代思想三月臨時増刊号』44(5)、pp.214-225。

コーン、エドゥアルド 2016 『森は考える ―人間的なるものを超えた人類学』奥野克己・近藤宏(訳)、亜紀書房

印鑑と個人化

今日、用事があって郵便局の窓口で手続きをしなければならなかったのだが、その際に印鑑を持っていなかったことに加えて、自分がいつも使っている印鑑と通帳に登録してある印鑑が異なることから印鑑の変更、そして住所変更までしなければならないという七面倒臭いことになった。

住所変更は別として、なぜ印鑑?となったのではあるが、椅子に座って呼ばれるのを待っているうちに一つの考えが浮かんできた。

 

「そうか、印鑑は人を他の人から区別(アイデンティファイidentify)するものである(あった)のだ。そして、そうすることで初めて、この通帳を持っている個人と私が一致するのだ。」

 

つまり、印鑑の一つ一つが一人一人を特定するための道具となっている。印鑑がなければその人は手続きをすべき人間ではない。

 

言い換えれば、印鑑こそが一つの人格であるともいえる。

この前提には印鑑の一つ一つがちょっとずつ異なっていて、唯一無二の存在であるということがある。

これは、印鑑の使われる(いた)方法を考えてみてもいえる。会社の印鑑(法人)、会社用の個人の印鑑(会社人)、個人用の印鑑(家庭人?)、・・・。

このように印鑑はそれぞれ一つの存在を示すものとして機能している。

 

しかし、である。

人口が増え、人の移動も多くなり、印鑑も貴重なものではなく百均にも同じものが売られるようになったことで印鑑の上記の役割は果たすことができなくなってきているのではないだろうか。

(そういえば、私の子供のころまでは印鑑が貴重であり、かつ人格として機能していたことを象徴的に示す例が「いい人生に、いい印鑑」の大日本印章のCMだな。)

 

だから、印鑑が人格を表すことへのリアリティ、現実性が薄れてきている。

例の私の通帳は親が作ってくれたもので、テキトーに実家の引き出しにしまってあったテキトーな印鑑のうちの一つを押したものであろう。

(しかし、これは逆に言えば、ある意味、家族の全員が使う印鑑、つまり「家」の印鑑として機能しているので、部分的には一つの単位・人格を表していて興味深い。)

 

そのために通帳の印鑑に対して特に何も感じてなくて、手続きの際に印鑑を持っていこうとは頭にさえよぎらなかったのである。(社会性の欠如は別の問題…笑)

 

それに対して、郵便局員の「(当然のように)印鑑は必要ですよ」という語りは、毎日印鑑をもとにして人格を扱うという手続きする者としてリアリティを持っているということであろう。

 

しかし、先述のように印鑑を取り巻く環境の変化にともなって、社会における印鑑の役割のリアリティは失われつつある。

それを表すように多くの手続きで印鑑は不要になっている。実際、私の持っている他の銀行の通帳に印はない。(登録は一応されているはずだが)

 

そして、今日の事例で考えれば、ついには印鑑が人を区別することをやめ、むしろ他のモノによって印鑑が区別されるということが起こった。

その他のモノとは免許証である。免許証を見せることで印鑑がその個人のものであることとを決定するのである。この人の印鑑がこれであることを登録するためには、より高次元な区別化のためのモノ、免許証が必要なのである。

 

現在、多くの本人確認は免許証やパスポートといった顔写真、生年月日の両方が記載されているものによって行われる。

まさにTOEFLの試験を受けるときなどに必要なID(identification)である。

今度は顔写真と生年月日の両方によって個人が特定されるのである。

 

印鑑に代わるものとしてIDが普及する。

しかし、ここで重要なのはこのようなIDと印鑑の違いだ。

印鑑が私の通帳のように家族での使いまわしが可能であり、複数人をひとまとめにする「家」を特定することができるのに対して、IDはまさしく個人indivisualを特定する。

これによって個人は家族の他の成員とは異なる人間=人格となる。

IDが普及することは、個人としての人間が生まれることを意味する。

 

さらに、現在進行中のものとして、マイナンバーカードはより一層の個人化を図っている。というのも、IDが(可能性として、ではあるが)同じ誕生日、同じ顔の人を区別できないのに対し、マイナンバーカードは一個人に一つの番号を付けることによって、他の個人とは明確に区別する。

 

このように、印鑑からIDを経由してマイナンバーカードへの区別の方法(アイデンティフィケーション)は個人化の進展といえるであろう。

 

そして、そして重要なのは個人はこのようにして作られるということである。

個人がいて、それを明確化する過程なのではない。逆である。明確化することで個人が生まれるのである。

 

 

ロラン・バルトとクランベリーヨーグルト

 

 

明るい部屋―写真についての覚書

明るい部屋―写真についての覚書

 

 

前回のロラン・バルト『明るい部屋-写真についての覚書』は、最初この記事を書きたいがために書き始めたのだが、まとめているうちに内容の確認が必要になって、そのまま単なるまとめになってしまった。

ただ、言いたいのはこのことである。

 

前回の投稿で『明るい部屋』の最後の章「48 飼い慣らされた「写真」」でこんな一節がある。

写真を特徴づける、そして写真を他のものと区別する方法が、写真を一般化し、大衆化する方法であるとバルトは言う。

 われわれは一般的なものとなったある想像物に支配されて生きているのだ。たとえば、アメリカ合衆国では、あらゆるものがイメージに変換される。極端な例をあげるなら、ニューヨークのポルノショップに入ってみるとよい。そこに見出されるのは、悪徳ではなく、ただ単に悪徳の生き生きとした場景だけである…(中略)…。 そうした場所で自分の体を縛らせ鞭打たせている名もない個人…(中略)…は、自分の快楽がスレテオタイプ化した…(中略)…サド・マゾヒスト的イメージと合致しないかぎり、いわば快楽を感ずることができないのだ。(p.144)

つまり、アメリカ(それは例として挙げているだけで地理的な範囲は問題ではない)では、想像物でしかないイメージの中に人間が包み込まれている。

人間はその中でしか、欲望(この場合、性的欲求)を満たすことができない。

 

SMプレイにハマり込んでいる人にとっては、SMプレイという形式=イメージの中に身を置くことでしか、人間の本性的な(動物的?)欲求である性的欲求すらも満たすことができない。

 

ここまできて、これは極端な例であるのもあって、共感しつつも、どうかなーと思っていた。しかし、つい先日アメリカ合衆国に行く機会があって、そのなかで「あ、これだ!まさしくこれだ!」と思うことがあった。

それこそ、まさしくモーテルの朝食として乱雑に置かれていたクランベリーヨーグルトを開けた瞬間であった。

そのクランベリーヨーグルトは、驚くほどのピンク色をしていた。

重要なのは、ヨーグルトにクランベリーを入れることによってピンク色になるか、その是非ではなく、クランベリーヨーグルト=ピンク色というイメージである。

(ちなみに別の場所でブルーベリーヨーグルトを食べたときには薄ぼけた紫色であった)

つまり、クランベリーヨーグルト=ピンク色というイメージを我々は当たり前のものとして考えていて、逆に言うと、クランベリーヨーグルトがピンク色でないと、それではないような気がするのである。

だから、イメージの世界であるアメリカでは、クランベリーヨーグルト=ピンク色として人々は当たり前に食べて、そして、そうあることでしか「おいしさ」を感じることができない。

これは、先述のSMプレイの快感と何が異なるのか?同じである。 次元としては同じことである。

ここで、フィールドの経験と概念が接合される。

つまり、人々のイメージが人々を包み込むという概念がクランベリーヨーグルトを食べる経験によって体現された。

 

まったく事例が異なるように思っていても、日常の経験は概念と結びつく。これこそ、人類学の面白さなのかもしれない。と、無理にまとめてみた。以上。

 

ロラン・バルトの『明るい部屋』まとめ

人類学を標榜しておいて、ようやくの投稿が哲学者のロラン・バルトっていうのもあれですが…
まあ、読書日記も兼ねていることだし、考えたことなんで書こうと思います。


この前、別の場所で写真について考える機会があり、その際にロラン・バルトの写真論『明るい部屋 写真についての覚書』(花輪光訳、みすず書房)を読んだ。

 

 

明るい部屋―写真についての覚書

明るい部屋―写真についての覚書

 

 

とりあえずまとめてみます。

 

最愛の母を亡くしたロラン・バルトは、母の面影を探して家にある写真をあれでもない、これでもないと見つめていた。

そしてついにこれぞまさしく母であるという写真を見つける。

 

それを見るなり、私はとっさにこう叫んだ。
《これこそ母だ!確かに母だ!ついに母を見つけた!》と。(p.123)

 

 

しかし、この写真とは、バルトがまだ生まれてもいない時代の写真、母の幼少期に温室で撮られた写真だったのである。(「温室の写真」)

この奇妙な現象を説明するために、この本は書かれたという。

 

そこで、バルトは写真(の部分・特徴)を2つに区別する。
ストゥディウム(studium)とプンクトゥム(punctum)である。

前者が一般的関心ともいえるもので、教養文化に基づいて思いを寄せることを示す。
バルトの想定するものとしては、歴史写真、民族誌学的写真に対する関心のようなもの。
「へえ、こんな時代はこんな服装していたんだ」「こんな地域にはこんな人がいるんだ」という感じか。

あるいはポルノ写真のように欲望を掻き立てるものも、文化的なものなのでこちらに入る。


一方で後者は、前者を突き破るものだという。
気になってしょうがないことによって享楽や苦悩を味わうもの。
そして、これは写真に写りこんだ「細部」によるものだと考える。

バルトはある家族写真(本にも掲載)がこちらに入るとして紹介している。
そしてその理由は、写真の中の女性が履いている「ベルト付きの靴」であるという。

これは個人の経験にもよるものでもある。
(ちなみにバルトは「私にとってしか母は見られない」として「温室の写真」は本に掲載していない。
←なんやそれ、見せてくれやと思うのですが)

このようにして、ストゥディウムとプンクトゥムの区別をしたわけであるが、これは共存しうるし、被写体に依存しているわけでもない。

と、ここまできたところで前半が終わり、後半はストゥディウムもプンクトゥムも言及されなくなってしまう。

後半はより写真を見る者一般について当てはまるように考えているのだが、上の区別も引き継いでいるように私には思う。

 

最後の章が面白くて、まとまっている。

 

社会は「写真」に分別を与え、写真を眺める
人に向かってたえず炸裂しようとする「写真」の狂気をしずめようとつとめる。
その目的のために、社会は二つの方法を用いる。
…以上が「写真」の二つの道である。「写真」が写して見せるものを
完璧な錯覚として文化コードに従わせるか、あるいはそこによみがえる
手に負えない現実を正視するか、それを選ぶのは自分である。(pp.142-146)

 

 

ここで本文は終わっている。
つまり、ざっくりと要約すると、写真は文化コードに沿ったものと、切実に自らに迫ってくるようなものがあって、それは人によっても変わってくるという感じか。

ここからは私見であるが、
これは近年の人類学でいう存在論的転回とも接合できるのではないかと思う。

というのも、バルト自身も写真の「存在論」を書きたかったとあるように、写真が自らに迫ってくるような場合、そのとき写真は人々に対して力を持っている、つまり、人々にとっての「存在」となっているといえるのではないか。

これは、写真が対象として観察されるのではなく、人々に何らかのことを働きかける力を持つことを意味している。そして、このように力を持っているということでエイジェント(準主体)といえるのではないだろうか。

 

こんな感じで考えられないかなと思っているこの頃です。
こういうこと書いていたら写真撮るほうも気になってきて、より平面的に細部を含むようなフィルム写真とかやってみようかなと思っているところです。