Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。

近況報告と久しぶりの一時帰国、それからエコロジーについて

ウィーンの夕焼け

しばらくこのブログを放置していたが、新しい環境に入って何かを考えたりするたびに何かを書こうとは思っていた。

しかし、日常がレポートやなんやらで書く機会が多くて、それ以外の自分の時間の中で書くことにエネルギーを使うこともなかなかできなかった。

書くという行為は頭の中にあるぼんやりした考えをまとめ形にすることであり、もっというならば書くこと自体が考えることともいえる。自分の指導教員が修論について「とにかく何でも書きなさい。書くことが考えることで、何かを進めるのにいいから。書いた文章はその後使っても使わなくてもいいし、使えるのであればそれはいいことだから。」と言っていて、実際にフィールドワークに行ったときのことを書くと、なるほど、確かに自分が何となく考えていたことや、分からないこと、もっと知りたいことが明確になっていく。ぼやっとした広がりが一つの点になって、それが複数に分かれたマインドマップのように広がりをもっていく。Twitterも最近はあまり投稿していなくて、日本語で書く機会もあまりなかったのは少し残念だとは思う。

TikTokやインスタグラムのように映像や画像ばかりが独占する世界で、書くという行為はより大事になってくるような気もする。Twitterイーロン・マスクに買われて書くという行為を最も身近に行っている研究者たちがマストドンに移行したけどあまりユーザー数も増えないし、Twitterのごたごたも続く状態の中で、MetaがThreadを発表したのは少し希望のあるニュースでもあった。

それはさておき、なぜ久しぶりに書こうと思ったかというと、一つ目は近況報告、二つ目は久しぶりに日本に一時帰国して色んな人と会い、色んな考えが湧いてきて形にしたいと思ったから。また、少し押しつけがましいかもしれないが、日本で会って、色んな話をした人たちにも少しシェアしたいと思ったからでもある。そういう意味で書くことへの欲望がでてきた。

近況報告といっても、一体誰がこの放置され続けているブログの著者の生活に興味があるのかというものもあるけど、互いにいいね!を付けあった数年前のこのじんわりしたコミュニティへの貢献ともいえるかもしれないし、別にそうでなくってもいい。ブログを放置し続けてもアマゾンアフィリエイトが月数十円ずつ支払い続けているように、誰かは読んでいるし、自分がいなくてもこの世界は自動装置のように回り続けているのも実感しているわけだが。まあ何より近況報告をなくして一時帰国で考えたこともを語るわけにもいかないので。

 

ということで、以前の記事がコロナが始まった2020年とかのはずだから、約3年間に何があったかというと、まずCEUのブダペストからウィーンへの移転に伴ってウィーンに移住し、コロナ禍が治まりはじめたくらいで卒業した。修士を卒業して仕事なども探していたりしていたが、コロナの影響やビザの関係でそれも困難となったときに、自分がどこに住んで、何をやりたいかを考えることになった。

後述するが、どこに自分の身を置くかというのは自分にとっては一番大事なことで、それが物理的と精神的な生活を大部分決める。では、どこが自分にとって一番いいのかを考えたときにやはり大陸ヨーロッパのどこかということになった。それを決めるまでにハンガリーには計2年ほど、コロナ禍のウィーンに半年くらいしか住んでいなかったが、ブダペストではなく、ウィーンが良いと思った。度重なる引っ越しと新しい言語習得に疲れていたというのもあるが、ウィーンが世界で最も住みよい街に選ばれるのも分かるように、非常に住みやすいというのもある。(ちなみに外国人にとってはウィーンは住みにくい街らしいが、その話は別。)自分から選んでウィーンに来たわけではないが、いざ住んでみると緑が多く、アルプスも近く、ドナウ川は泳げるし、約190万人の都市だから何かに困ることもないし、楽しいことも多いことに気が付く。ウィーンに住んでいる自分の周囲の人もChillな人が多くて、自分の身を置く場所としては良いと思った。

さて、住む場所をウィーンと決めた段階で選択肢は限られてくる。外国人として住むためには何かしらの理由が必要で、勉強だったり、研究だったり、仕事だったりと色々あるが、自分はビザの更新が迫っていたこともあり、学生でいることがとりあえず良さそうだと思った。ここではその人の関心と条件(仕事、家族、精神的なバランスなど)によって学士に8年、修士に4年かけたり、2つ目の学士や修士をやっている人も多く、自分も2つ目の修士ウィーン大学科学技術社会論STS)のプログラムでやることにした。自分が人類学で興味があったのはSTS方面のことも多く、実はCEUにアプライするときにウィーン大STSにもアプライしようとしていたが、途中であきらめていた。ウィーン大は非EU市民でも学費が学期あたり750€と安く(ちなみにEU市民は無料)、興味関心と実務的なことがあった結果だった。

保険でドイツ政府の奨学金(DAAD)でフライブルク大学なども一応途中まで申し込んだり、ウィーン大の他のプログラムにもアプライしたが、基本STS一本で、もしだめだったら他の選択肢を考えようくらいに思っていたら、無事合格した。

それからビザの手続きに苦労して、そのためにブダペストに戻って夏を過ごしたりしていたが、無事2021年10月から2つ目の修士を始めた。

その後、修士をやりながら生活費の足しと職歴をつけたいためにインターンなどを探して応募していたらウィーンにある研究機関での夏期インターンに受かり、その後そのまま学生ビザで許可されている週20時間で雇用してもらえることになった。こちらでは業種にもよるが、パートタイムでも派遣ではなく正規雇用のシステムがあって、各々が条件に合わせて働いている。ということで、現在は修論を進めつつ働くという形で過ごしている。

東京の湿度はビルの上部を覆っていた

 

これが大体の近況報告になるが、6月に学会発表もかねて日本に一時帰国した。

それまでも一年から一年半に一回は一時帰国していて、書類の手続きや家族友人と会ったりしていたが今回は自分の立場もある意味安定して、このままヨーロッパに住むであろうなという気概だったので、久しぶりの一時帰国は違う印象だった。

久しぶりに大学時代の友人に連絡を取ったり、ヨーロッパで出来た新しい友達とその人の知り合いに会ったりした。

学会のために東京に一週間泊まっていたが、色々新鮮で、Twitterのスレッドに印象を書いたりした。

東京という、世界で最も過密な都市のひとつは自分の身を置く場所を考えるうえで興味深い経験を残した。早めに梅雨入りして空気の重く、視覚的聴覚的な情報が多い東京では自分の感性や考え方も変わってきて、面白い。

ちょうど千葉で泊めてもらっていた友人の家から篠原雅武の『複数性のエコロジー──人間ならざるものの環境哲学』を借りて読んだり、友人と話をしたりしていると、ティモシー・モートンの意味でいうエコロジーについての考えがまとまってきた。

ここでいうエコロジーとは、人間(文化)と切り離された自然のことではなく、人間と非人間が相関しているどろどろとしたものである。

海底に沈んでいた釣り竿に貝や海藻が付着していて、エコロジーっぽいと思った

この本の出だしもいい。

二〇一六年の夏のある日、大阪市営地下鉄御堂筋線沿線の淀屋橋の近くで用事をすませてあたりをうろついていたら、チラシが一枚、私にむかって衝突してきた。「暴力を生き抜いたサバイバーが安心して過ごせる場所を目指しています」と書かれたそのチラシは、DVや虐待といった暴力の後遺症―そこには肉体的な虐待だけではなく、家庭内不和という緊張状態を生きていたことゆえのストレスも含まれるだろう―に苦しんでいて、生きづらさを感じている人のための居場所を提供する福祉施設M(仮称)が存在することを告げていた。…

不安は、薬では消えない。心療内科で処方される薬は、脳に作用し、脳の状態を改善するかもしれないが、不安を抱えた人がこれまでに生きてきた人生のなかで受けてきた心身における損傷の蓄積を癒すことはない。心身の損傷は、脳の損傷だけでなく、その心身をとりまき支える居場所感にかかわる、より広がりのある出来事である。…
篠原雅武(2016)『複数性のエコロジー──人間ならざるものの環境哲学』(pp.5-7)

この出だしを読み始めて、知的障がいのある人をサポートする仕事をする友人、職場がストレスで退職し新しいことを始めようとしている友人を思い出し、そして自分自身が日本で言葉にできない葛藤を抱えている/いたことの理由がゆっくりと形になってきた。

「居場所感」は自然環境や街の広告や、社会規範、他者の目、そして自身の経験を含めたものであって、例えば葛藤や不快感を一つのものに起因することはできない。先のTwitterの投稿が無限につながっていくように、それは人間ー非人間のつながりの中で自分が経験とともに感じることである。

自分にとって日本よりもウィーンを自分の居場所としていることの理由もここにある。

幼いときから社会が性に合わなくて、何かしらの葛藤を抱えていたように思う。その葛藤は久しぶりの一時帰国でも思い出された。

ちょうど友人の友人で知り合った人が、転職中でオーストラリアでワーキングホリデーをやるという彼の友人を訪ねようかという話があった。僕は彼に行けばいいといった。

居場所を変えてみることはエコロジーのすべてを変えることであって、そこからまた別の居場所感をもつことだ。

彼の友人は「結局日本がよくて帰ってくるかもよ」といったし、このような言葉は自分も良く聞く。だが結果的にそうなっても、それはそれでいいと思う。違う居場所感を経験すること自体が自分が何に心地いいと感じるか感じないかを判断する材料にもなる。

居場所を変えない限り、複雑に絡まりあったエコロジーはなかなかほどけないし、知覚することもできない。だから、少しでも居場所感に違和感を持つ人は環境を変えてみるといい。

また彼は「流行りとかないところに行きたいな」ともいった。

僕が日本に一時帰国して感じたのは日本の消費社会、物質主義だった。人が住む場所は物があふれ、東京の建築が作っては壊されるように、人は流行りに応じて物を買っては捨てる。環境にはもちろん悪いが、このチープな物質に囲まれたエコロジーもある人にとってストレスになる。

(以前ブログでも少し紹介して、ちょうど再読していた)佐伯 一麦の『ノルゲ Norge』にこんな一説が出てくる。主人公は妻とノルウェーオスロで暮らし始めたとき、お金もなく夫婦に家財道具をクラスメートが貸してくれた。主人公は「大切に使われてきた物に囲まて生活をすると気分が落ち着く」という。ウィーンでも、アプリやフリーマーケットはいつも賑わいをみせ、古くても良いものを大切に使おうとする。均一化され安っぽいIKEAの家具ではなく、中古の物に囲まれると安らぐ。

それが象徴するようにウィーンの街も長く使われてきた建物や乗り物を修復しながら使うことも多く、不便な部分もあるが、それが気分にゆとりを与える。すべてが新しいと良いとされ、張りボテでも新しく見せようとする東京の中心街とはちがう。

もちろんどちらがいいというわけでもなく、僕の友人はごちゃごちゃした場所じゃないと落ち着かないと言ってたりもする。ようするに、自分の居場所をティモシー・モートンの意味でのエコロジーの観点から考えるといいかもしれない、という話。

そういう意味で自分は今の生活が向いているということを再確認した一時帰国でもあった。

 

ほかにも色々書けそうなことがあるけど、とりあえずこのへんで。

またいつか気が向いたら更新します。

古い建物が大切に使われる