Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。

COVID-19の影響が出てからの生活

はじめに

3月中旬に突然大学が閉鎖になってから一か月半。ロックダウンにも慣れてきて、手のかかる料理をわざわざ作ったりしながら日々を過ごしている。

新型コロナウイルスによって日常が突然変わった(変わり続けている)こと、ウイルスに対する認識、学問と研究に関する態度が変わっていること、ロックダウンにおける日常の些細なこと。日常の事柄や考え方が日を追うごとに少しずつ変わっていくこと、それは、この一か月と少しの間でも大きく更新されている。そして過ぎ去った後では、もはやそのときに何が起きていて、自分が何を考えていたのか、ということを振り返るのは難しい。

精神的にもだいぶ落ち着きが出てきたので、忘れないうちに記録として残しておきたい。まがいなりにも自分は人類学をやっていて、特定の時代と地域における状況化された客観と主観に関して重きを置いている、真剣に捉えるということをやっているので、特に自分の置かれた状況と視点から断片的に書いてみたいと思う。それはオート・エスノグラフィーでもある。のちに自分や他人の役に立つかどうかなんか分からない。しかし、とにかく書くことが必要なのだ。さもなくば、自分もまるで何事も無かったように振り返ってしまうかもしれないし、生活は続くかもしれない。

また、僕らは自分たちがいかに忘れっぽいかを知っている。歴史の天使は過去を振り返りながら事柄を修正し、認識を変更する。悪意があるとなしに歴史として振り返ってしまってはもうそのときには出来上がった歴史しかない。自分の中でも、政府の発表の中でも、世の中に溢れる情報の中でも、歴史はパッケージ化されてしまう。そうなってしまったら「日常が非日常に」とか「人びとは狂気だった」とか、そんな陳腐な言い回しでしか過去を振り返れなくなってしまう。ナチス時代のドイツにおける「ナチスは凶悪だった」「人びとは騙されて盲目的に支持した」というような短絡的な考え方になってしまう。ミルトン・マイヤーの『彼らは自由だと思っていた』がショッキングに示したことはまさしく、そのときのナチス党員が自らを自由だと思っていたことである。彼らは人間であったし、そのときに感情をもっていた。そんなことが数十年もすれば忘れられてしまい「悪者」や「犠牲者」といったようにしか過去を見れなくなるのだ。

この約一か月半の中でも自分の置かれた状況や考え方は刻々と変わってきたのが分かる。もし、もう少しして大学が再開されたら「大変だったね」で終わってしまう。過ぎてしまってからでは何もかも遅いのだ。瑞々しさをノートとして真空パックする。

 

自分の立場

まず、自分の置かれた状況について。

自分はCEUのSociology and Social Anthropolgyの2年修士のプログラムで、ハンガリーの首都ブダペストに住んでいる。国際的な大学なので32人いるクラスメートは20か国くらいから来ている。現在(2020年4月29日)は冬学期(1月から3月末まで)が終わって春学期がオンラインのみで始まっている。

パートナーはハンガリー人でブダペストのある病院の内科で働き始めて1年目。パートナーのおかげでハンガリー国内の情報もよく耳にすることになった。

 以下、自分の置かれた状況の変化と自分の認識の変化をもとに大まかに分けることのできる段階として初期、中期、後期と恣意的に分けた。ハンガリーでは2020年5月から段階的にロックダウンの緩和がされている予定なので、自分の生活における変化のピークは過ぎたのかもしれない。だが、まだ分からない。

 

初期:2020年2月まで ~情報の混乱と信頼性の確保、レイシズム

中国で感染が発覚したのは2019年の年末、それから1月2月にかけてアジアを中心に感染は広がっていった(厚生労働省)。日本に関する情報は主にTwitterで日頃からチェックしていたので、自分はヨーロッパにいてハンガリーや周辺国では感染者がまだ出ていなかったのだが、日本に大きく影響が出そうなので注視していた。

まず日本におけるコロナウイルスの話題はほとんどがクルーズ船ダイアモンド・プリンセス号についてだった(嫌なほど目にしたこの名前ですら、もう忘れかけていた)。日本政府がこのクルーズ船の感染者数を日本の感染者数にカウントしないためであろう、港に停泊したまま乗客乗員を下船させないようにして世界中の注目が集まった。連日の国内外のニュースで船内の情報と、感染者・死者数が出た。岩田健太郎医師のYouTubeでの告発(その後数日で動画は削除された)が称賛と非難の両方を浴びた。自分は岩田氏の名前を耳にしたこともなく、どのような人物なのか、発言が信頼に値するのかは分からなかった。しかし、同時に公開された船内の様子の管理の行き届いていない状態を目にしたことと、所属機関が信頼できること、そして逆に日本政府への信用性のなさから、おそらく氏の警告は信頼できるだろうと思った。

特に、新型ウイルスで感染経路や対処、防止の仕方がよく分かっていない時期だったため、誰が発表する何を信じればよいのか分からなかった。科学がブラックボックス化する前の不安定さと、固定化されていくプロセスが垣間見れた。自分も同じようにして何を信頼するべきかを段々と身につけていった。また、Twitterでフォローしている感染症の人類学が専門の医療人類学者・浜田明範氏のツイートは人類学的に状況を見ていて興味深かった。

このときは、まだマスクが効果的か否かに関して不明な点も多かった。飛沫感染がメインの感染経路だとされていたため、空気感染やエアロゾル感染への予防としてのマスク着用とは違って、非感染者がマスクをつけることによって直接的に防ぐことはできないとされていた(現在確認してみてもコロナウイルスエアロゾル感染をするというエビデンスは見つけられなかった)。ただし、マスクをつけることによって汚染された手で目鼻口を触れることを間接的に防ぐことはできるとされた。

日常の中に武漢(それまでは一度目にしたくらいの地名だった)、コロナウイルス、COVID-19(WHOが名前を定めたのは2月11日だった)、飛沫感染エアロゾル感染、都市閉鎖、ロックダウンなどの語彙が現れてきた。福島の事故の後、日常の中にセシウムシーベルト、ベクレルなどの語彙が急に入り込んできた感覚と似ていた。

中国・上海(当時、武漢から上海にまで広がっていた)出身の中国人のクラスメートは1月の段階から毎日のようにFacebookで最新情報を投稿するようになっていた。彼は、大学寮の近くにあるショッピングモールでご飯を食べていたら、見知らぬ若者たちからハンガリー語で罵声を受けた(「korona」とだけ聞き取れたらしい)と投稿していた。また、今年度から就任した同じく上海出身の先生も、道端でいきなり声をかけられて「武漢出身か?」と急に声をかけられたと投稿していた。

ある授業の教員が学生を連れてブダペストの中華街にフィールドワークするという計画は延期になった(その後、さらに延期して、いつ実施できるかは未定)。「この決定はレイシズムに基づいているわけではないが、トラブルに巻き込まれないようにするためだ」と彼は話した。

フランスでも日本料理店へのスプレーでの落書き、イギリスでのバス乗車中における嘲笑があったという話を聞き、特に日頃からレイシズムと隣り合わせのハンガリーでは日本人(東アジア人)である自分に関するレイシズムが深刻な形で現れないかと心配していた。

一方で、日本でニュースになったのはレストランなどでの中国人の入店拒否などだった。いかにレイシズムがいい加減に人間のカテゴリーを作っているかが良く分かった。

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ちょうどこの時期に授業の一環で行っていたフィールドワークの場所で見つけたステッカー。

 

中期:2020年3月上旬 ~ヨーロッパでの急激な感染拡大~

三月上旬になるとヨーロッパ、特にイタリア北部から全土、スペインへと感染が拡大した。イランも突如ホットスポットとなった。

この辺りの時期は世界中に感染が広がりつつあってBBCなどのメディアもアップデートをしていた。ハンガリーでは一人、二人感染者が出始めて、大学内でも危機感が少し出てきたが、深刻な様子はなかった。あくまでも話題としてコロナウイルスの話は出ていた。しかし、隣国オーストリアでは感染が広まっており、CEUウィーンキャンパスは閉鎖され、その次週からオンライン授業に移った。

ハンガリーでは元からあったイラン人への差別が表面化したような形で、本国から戻ったイラン人学生が病院での隔離を守らなかったというニュースがハンガリーの中で広まった。看護師に暴言を吐いたとか、病室から椅子を投げた、隔離期間を終えずに街に出てウイルスを「ばらまいた」などといった内容である。ハンガリー政府は以前からメディアへの圧力を強めていたため、閲覧数稼ぎのためのフェイクニュースメディアを含めてイラン人学生への非難は集中した形だった。一方で、独立系のメディアで英語での発信をしているHungary Todayによると、イラン人学生の言動は英語のリテラシー低いハンガリーの病院でのコミュニケーションがうまくいかなかったためではないかとしている。

オルバン首相は以前から反移民・難民キャンペーンを行っており、このニュースがあってから、さらにその動きを加速させた。オルバンは「ハンガリーは二つの『戦争』と戦っている。前線の一つは移民、もう一つはコロナウイルス。これら二つはムーブメントして広がるという意味で、論理的に繋がっている。」と発言した(情報源:France24(AFP))。

その後、この学生とは別にさらにイラン人学生13人を3年間の再入国禁止を伴う国外追放処分にした(Hungary Today)。

これに応答したような形でレイシズムはさらに加速した。CEUの学生寮に住む学生に対して、見知らぬハンガリー人のグループが「寮を燃やす」「お前の国で死ね(Go die in your country)」という差別を行ったという。

コロナウイルスの脅威がヨーロッパにも近づいてきた実感が出てきた。授業内ちょうど関連するような文献(Nature/Cultureに関するものなど)を読んでいたため、コロナウイルスを題材にした映像(以下)をみたりしながら、人間と環境の関係に関して社会学・人類学的に考えた。別の授業でも、ヨーロッパの震源地であるイタリア、ミラン出身のクラスメートは親戚が入院していると打ち明け、取り乱した様子だった。一方でその人も「イタリアでは全員に検査しているから感染者数は増える。でもハンガリーでは検査していないから分からない。」と話してた。

 

youtu.be

また別の授業では剽軽な教員が授業初めに急に「コロナウイルスっていうのはパスタみたいなものだな。中国で発明されて、イタリアから広まった。」という今考えると不謹慎な発言をしていた。しかし、クラスメートも笑っていたように、その当時はまだ「少し遠くのこと」のようにして捉えられていた。同じように、オンライン授業の可能性について示唆しながら、「このクラスルームで皆でパソコンを持ち込んでスカイプとか繋いだらいいんじゃない?」とふざけていた。

一方で、自分のパートナー(医師)の勤める病院では感染と疑われる患者が出て、検査した。同時に彼女も検査の対象となったが、結果が出るまではSNSに書き込んだり、友達に言わないようにしてほしいということだった。その後、結果は陰性だったが、万が一、自宅検疫になった場合のために多少の買いだめはしておいた。

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スーパーでは空になった棚も出てきた一方で、大きな単位のパスタなども売り始めた。

後期:3月中旬から下旬 ~突然の緊急事態宣言、キャンパスの閉鎖~

状況が変わったのは2020年3月11日(水)だった。

水曜日の午後のクラスで、インターネット上のマテリアルを紹介していたときに、ハンガリー人の学生が、ハンガリー政府の緊急事態宣言とそれに伴う大学キャンパスの閉鎖を突如として発表したことを見つけた。その時、教室にいた学生の間で不安が広がった。学長も全学にメールを出し、ブダペストキャンパスでも、その次週からオンライン授業に移行すると発表した。

翌日朝8時過ぎ、授業のためにバスでキャンパスに向かう時に、WhatsAppのグループチャットに未読が溜まっていたので見たら、その日からキャンパスは閉鎖され、授業は中止になったという。同時に、段階的に都市閉鎖(ロックダウン)が始まる。(ハンガリーでは現在でもイタリアやフランス、スペインのような厳しい外出禁止令を布いていないが、実質レストランなどもしまっているため、行く場所はない。)

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自宅待機を促す政府による看板。反移民キャンペーンでも同じような手法が取られた。

このときから毎日、学長や学部、学生連合から何通ものメールが来るようになる。メールの内容は毎日のように情報が変更、更新され、メディアからの溢れる情報を横目に入れながら、学生たちは判断を迷っていた。教員はそれまでやったことがないオンライン授業をどのように行えばよいのか分からないとも学生に打ち明けていた。

最初の一、二週間ほどは、大学運営側も学部も学生はブダペストに残るようにと声明を出していた。しかし、早々に自国への帰国を決める学生もいた。

この混乱した状況の中で、学生の集合的な活動も活性化した。自分の所属する学部に対して、学生連合の学部代表を中心として、学部への意見を出した。その他にも学部を横断した学生の活動、例えば、寮で相部屋に住んでいる学生を各人、一人部屋に割り当てる組み替えするための意見書、自宅検疫や食料の確保の学生のための支援ボランティアの創設などがあった。Alumniによる支援も出てきた。

オンラインでの授業は思っていたよりもスムーズに開始された。大学が契約しているOffice365のプラットフォームTeamを使ったもの、オンラインビデオ通話アプリZoomを使ったものの二つに分かれた。

それぞれの自宅からの電波が安定しないことによるトラブルがあったが、教員の子どもが顔を出して和んだり、アプリの使い方に慣れてきた教員や学生が、使いやすくするための情報(ヘッドフォンを使う、発言するとき以外はマイクをオフ、電波が悪い場合はビデオをオフ、手を振って発言の合図、チャット機能に意見をシェアする、など)を共有することで使いやすさを獲得していった。

教員は特に学生の精神的な影響を気にしていて、最初の10~15分くらいは近況報告や学生が何処にいて、問題はないのかを確認するために費やした。ある全員参加の授業の最終日には「社会学Jeopardy」と称してチームに分かれ、ゲームを行ったりした。

ある教員はMoodleで告知をするときに音楽のリンクを貼っていたりした。(これは実は自分を含めて隠れて人気があった。)例えば以下の音楽。

www.youtube.com

急な事柄にも関わらず、CEUはかなりスムーズに対処ができたほうだと思う。その理由として①もともと少人数のクラスであったこと②主に社会科学の大学院しか持っていないのでテキストとディスカッションができればよかったこと③もとからMoodleやOffice365などを大いに活用していたこと④学生や教員の主体性が高くと集合的なアクションがすぐに取られたこと、などがあげられると思う。自分の以前所属していた国立大学ではこれとは違った状況なので、かなり困難なんじゃないかと思う。

 

しかし、やはり学生側への負担は大きい。結果的に半数以上が自国に帰ったり、パートナーのいる国に一時的に避難したりしている。特に一年間の修士プログラムでは元から春学期(4月~)にフィールドワークをして6月には修論を書き上げるスケジュールのため、テーマを変更せざるをえなかったり、ストレスから研究が進まない学生もいる。自分を含めた2年間のプログラムの学生も、テーマの変更を考えていたり、やる気が出なかったりする学生が多い。

それらも加味したうえで、冬学期の成績はA+やBなどといったChracterの単位ではなく、Pass/Failの二択を選択できるようになった。後者を選択した学生には最終課題が免除される。これは世界的に広がっている(e.g. WP)。この決定に関する教員の対応はまちまちで、クラスの全員にPass/Failを導入したうえで、最終レポートを書きたい学生は書いてもいいが「Mock」な評価をする(成績表には関係のない評価をA、Bなどで示す)教員もいれば、レポートを書けばCharactureをつけるという教員もいた。博士課程進学を目指す学生はCharactureの単位が欲しい人が多いが、実際のところは、この学期の評価自体が審査の際に考慮に入れられるかは不明だ。

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乗客が少なくなった地下鉄ではハトが迷い込んでいた。

また、大学とは別のことではパートナーの病院での患者が陽性と結果が出たために3月中旬から10日間、自宅強制検疫となった。違反した場合には500,000HUF(≒17万円)の罰金を伴う厳しいものだった。しかし、ハンガリーでの担当する部署もガイドラインが定まっていないのか、当初は病院での隔離といっていたものの、自宅での検疫と意見を変えた後、一時は職場に復帰してもよいと対応がコロコロと変わった。結局は自分の今住んでいるアパートで検疫になったが、担当者が自宅に来た時に手袋の上から握手するなど、対応がいい加減な部分が多かった。

同様にして、政府の対応も他の西ヨーロッパのようにロジカルなものではない部分が多い。オルバンはこれを機会に緊急事態宣言を乱用して、独裁を強めている(cf. EuroNews)。無期限の緊急事態宣言による議会と選挙の停止、報道の統制を行うとともに、与党のコロナウイルスとは関係のない法案(例えば中国との協力した鉄道再建計画)を可決したりしている。自分はこれに関して非常に危機感を抱いており、コロナウイルスはいずれ終わるが、この独裁状態が終わらない可能性もある。もしそうなった場合、別の国に移住することも頭の片隅に置いている。

 

現在

現在は春学期に入り、研究計画書のためのワークショップを週一回やりながら、修論の先行研究の章を書く作業を進めようとしている。

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閉鎖されたショッピングモールのフードコート。深夜の空港のような雰囲気。

ロックダウンになった当初は意識的にトレーニングをしたり、文献を読んだりしていたが、4月に入ってから何もしていなくても疲れていたり、何もやる気が出なかったりしていた。現在でも「これをチャンスとして取り組もう」というような意識はない。

学問との繋がりを切り離さないようにはするものの、それ以上に生産的である必要もないような気がしている。ときどき近所を散歩したり、観たかった映画を観たり、手のかかる料理を作ることをルーティーンとしていて、家に籠っていても気分が変わるようにはしている。

ハンガリーでは英語での情報が少ないので、ハンガリー人であるパートナー、他の在ハンガリーの日本人、友人などと情報を共有していることが大きな助けになっている。

 

最後に

あるとき、TwitterのTLを見ていたら作家の平野啓一郎氏がこんなことを呟いていた。

日常が非日常となったときにどのような心境をもっているのか。

それは非日常が終わってしまってからではとても想像できない。僕たちが教科書や本、テレビで見聞きした戦争は悲惨なもので、人びとは物資の不足と強権的な軍部に苦しんでいた。確かにそれは事実の一つであり、学び、記憶するべきことだろう。でも、実際そのときに生きていた人の中には終わってみたら「長い夏休み」だったような気がした人もいただろう。

今、自分はまさに「長い夏休み」という気分でいる。幸いなことに自分の周囲で感染した人や重症化した人はいない。また、幸い自分の学業や経済的な支援をしてもらっている親に経済的なダメージはない。興味のあることを時間をかけてやったり、あるいはただひたすらぼーとしながら日々を過ごしている。オンライン飲み会もやったりしている。気分は夏休みだ。

とにかくこの間を健康に過ごせればいい。そんなことを晴れたブダペストの春の空を見ながら思っている。

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ランニングで通った英雄広場。いつもは観光客でごった返してるが、そのときは誰もいなかった。

https://twitter.com/hiranok/status/1255314377558953989?s=20

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