Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。

E・ヴァレンタイン・ダニエル「悩める国家、疎外される人々」

 

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

 

 

先に紹介した本書の中でE・ヴァレンタイン・ダニエルの「悩める国家、疎外される人々」が自分の研究分野とも近く、理解を深めるために詳しくまとめていく。

 

E・ヴァレンタイン・ダニエルはスリランカ出身のタミル人であり、南インドおよびスリランカをフィールドとして社会的暴力と難民問題などを研究。(本書著者紹介より)

また、本論文でも出てくるがM.ハイデガーの哲学とC.S.パースの記号論を人類学に組み合わせることに取り組んでいる。(コロンビア大学プロフィールよりhttp://anthropology.columbia.edu/people/profile/350)

 

では、まとめ。はじめにダニエルはこう書く。

国民国家の中心には、審美的動機がある。国民国家も、他の審美形式と同様、無秩序に秩序をもたらし、無形のものに形を与えることを約束する。しかし、たとえこの秩序が、たんに未来の希望…として想定されている場合にも、その希望は、想像上の「過去への栄光」へのノスタルジアに満ちている。」(p.152)

ある領域と人々が近代的な国民国家としての形を持つとき「国家の歴史」=国史が必要となる。これがないとその国に暮らす人々や国外の人々にとって国家の定義つまり「どんな国なのか」ということが定まらないからだ。

様々な歴史があり、様々な「民族」、宗教が入り混じった地域に対して一つの国という形を持たせ、それの「歴史」というものを書くというのは一般に考えられるよりも非常に困難である。

どんな書き方をしても恣意的なものにしかならない。なので「作られた〈国家の歴史〉」とここでは一貫して表記している。

もともとの捉えどころのない(国としての)無秩序の状態から決まった形の「歴史」つまり秩序をもたらすことで、人々は安心して国家について考えることができるようになる。

しかし、もちろん一つの「歴史」(大文字の歴史と呼ばれることもある)が決定した時に、そこに入らなかった人々、事例に対しては排除がおきるため(お前は正当な国の構成要素ではない!ということ)、これには問題が常に付きまとう。

歴史問題が現代日本で存在するものこのようなことからだ。

 

このような「作られた〈国家の歴史〉」および国家という枠組みに対する人々の捉え方について本論文では取り組んでいる。

具体的には、英国に移住したスリランカ・タミル人について調査をした結果をもとに分析を行っている。

 

 多くの先行研究では、人々はどこであれ国民国家に帰属するものだとして、そのアイデンティティ・ポリティックスについて考えてきたが、本論文で見るような第三期の難民にとってはそれは当てはまらないとする。

なぜなら彼らは「あらゆる国家に対して背を向けた」(p.154)からである。

このような人々にとって国家とはどのようなものなのか、このような対処にはどのような変遷があるのかということについて事例から見ていく。

(以下の項分けは本論文に準ずる)

英国のタミル人

そもそも、英国のタミル人とはどのような人々なのか。ダニエルは以下の三つのカテゴリーに分ける。

  • 第一期 1950年代 セイロンが英国の植民地支配から独立した初期(1948年独立)
  • 第二期 1960~70年代 大学が広く開放していた時期にスリランカにおいてタミル人としての息苦しさから留学
  • 第三期 1980年代初期に、スリランカの内戦を逃れたタミル人
第一期―エリートたち

上流階級や上層中流階級の出身。セイロンのエリート校で学び、セイロン人としても自覚をもち、西洋の慣習や様式になじんでいる。法律、医学、工学などの専門職の学位を取り、帰国することを目指す者

国家に関する歴史書を持つなどセイロン人としての自覚。(タミル人としてではない)

 

20世紀前半のある時点で「作られた〈国家の歴史〉」は国家の独立に寄与する「手段としての存在(instrumental entity)」からハイデガーの言う「道具全体(equipmental whole)」へと変化した。

つまり、独立のために主張した「国家の歴史」が(簡単にいえば)「自然なもの」になった。

それぞれのもの一つ一つで存在するのではなく、他のものとの相互依存の関係性つまり道具連関(ネクサス)によってようやく、ある存在になるもの。(インクはインスタンドやペンや紙というものたちのつながりによって道具であるインクになるように)

ここで「作られた〈国家の歴史〉」は国語や民族衣装などとのつながりに組み込まれる中のナショナリズムという道具全体の中のものとなる。

これによって利用可能性(availableness)、透明なものとなった。つまり、「作られた〈国家の歴史〉」についての本を書棚に置くこともできるし、それについて疑問視しなくてもいいようなものとなった。

 

しかし、転機が訪れる。

1956年の「シンハラ・オンリー法」(公用語シンハラ語のみにするという法律)だ。

セイロン国家とその「作られた〈国家の歴史〉」に対する彼らの権利は、疑わしいものとなった。タミル語を話すタミル人たちは自らが国家の枠組みに入らないことになってしまう。

しかし、だからといって「作られた〈国家の歴史〉」の「現事実性(facticity)」がハイデガーのいう「事物的存在性(occurentness)」(存在者が、帰属している環境世界から切り離されて独立しているあり方)に投じられることはなかった。しかし、その可能性は出てきた。

道具の透明感がなくなってくる。「道具の機能が不調になると、その道具は目立ってくる。」(ドレイファス)

より「伝統」を求める→別の文脈に再接合し適応(シンハラとタミルのどちらもが南インドから来ている、と考えることで対処)

 

第二期―学生たち

1960-70年代における大学、学校は様々な層に解放された。

しかし、タミル人にとってはより教育は貴重になった。大学にはタミル人が入りにくい定員割り当て&タミル人を大学、行政職、軍隊から締め出しがあったため、英国に移住する若者が出てきた。

これらの学生にとっては「作られた〈国家の歴史〉」は自分たちのものではなくなった。
「作られた〈国家の歴史〉」はスリランカ=シンハラ人の歴史だと考え、スリランカとは異なるタミルの歴史を支持する。LTTE(タミル・イラーム解放のトラ)の最高指導者プラバカランをタミル人の考える君主の姿だとして考える。

 

国家の「利用不可能性」への対応

ここでダニエルは英国のタミル人たちにおける国家の「利用不可能性」への対応についてまとめている。

第一期の移民:「没入的対処(absorbed coping)」。慣習的な行為が妨げられたことに一瞬驚いたあと、すぐに適応し、そのまま何事もなかったかのように進み続ける。

第二期と第三期:「熟慮的対処(deliberate coping)」と思慮(deliberation)。行われていることに注意を向け、自分の行動の結果を念頭に置いて、慎重に行動する対処法。

←ここでは習慣に関して主体/客体というようなデカルト唯心論的な思考について示しているのではなく、習慣に対して肉体と共に思慮するようなことを示す。

 
第三期―難民

1979年のスリランカ政府による「テロリズム防止法(PTA)」によってタミル人に無差別な力の行使があったため、英国に避難。着の身着のままで逃げてきた第三期の難民はどうしても英国に入りたいと必死。英国に入っても英語は話せないし、英国に適応していない。「これは英国で我々が守ってきた紳士的な態度ではない」というように考える。

このような英国タミル人の混乱に対して第一期と第二期(特に第一期)の移民は、既知の社会秩序をもたらそうとした。それは、タミルのカーストとそれに基づく支援、秩序に関する教え。

つまり、自分の知っているタミル的な国家像にもとづいて英国タミル社会を再構築しようとした。

 

第一期移住者の困惑

しかし、第三期の難民にとっては「国家」についてしがみつくような第一期の態度というのは理解に苦しむものであった。

第一期の移民を中心とするタミル人たちは、タミル的な秩序を第三期の難民にもたらすことができなくなったとき、スリランカ軍やインド軍と戦うことを「選んだ」若い男女=「武力解放組織」を支援するようになる。

というのも「武装解放組織」はタミル的な国家の形成を目指しており、国家の枠組み、秩序を求めたい第一期移民には好意的に映った。

 

第三期―予想外の到着地

子どもたち

この二項では第三期の難民たちが疎外されているのかについて詳細に記述。

アイデンティティの多様化

上の2項から、第三期の難民にとっては、スリランカ国家、タミル国家、移民先のイギリス国家というすべての国家に対して疑念を抱いていた様子が分かった。

これらの事例からみられるように、第三期の難民にとっては国家というものはそれらが必要となり求めるほど、それらの利用不可能性に出会う。国家は自分を疎外しつづけ助けてくれないことから信用ならないものとしてある。ここでいう信用とは「確かなものとして受け入れる」ということを示す。

つまり、彼らにとって「作られた〈国家の歴史〉」は無意味な存在になった。

むしろ彼らは国境を越えた国際人やアムネスティ・インターナショナルのようなものに興味を持っている。

 

国を追われた人びとと行為主体となる契機(アジェンティブ・モーメント)

この項は結論と理論化部分。

どのような意味で、これらの第三期の難民たちが国家を超越し、日常生活や基本的なものの見方に対する国家の支配を脱したといえるのだろうか。

彼らの永続的な苦しみからどのように国家を否定するのか。

このような苦しみが行為主体性をもたらす契機が関わっているとダニエルはいう。

 

ここでパースの記号論について

パースはデカルト的な完結した主体への批判をして、自己意識が記号過程であると考えた。(これは以前の『森は考える』でも出てきた話*1) 

「人間(パーソン)あるいは個人(インディビジュアル)という言葉は、記号(あるいは記号活動)の比較的密度の高い集まりを便宜的に表すものにすぎず、その密度は、それらの記号が習慣性をおびる特性によって左右される。」(p.206) 

 

このような思考としての内的対話は、人が行為主体となるための契機の場となる。これを考えるためには習慣について考えなければならない。

 

記号論における習慣について分かりやすい箇所の引用。

 「もし「自己」が一塊りの記号作用であり、記号作用は、経験から、非自己との遭遇から、継続的に推論をおこなうプロセスであるとすれば、推論も期待を生みだす。そして、期待は習慣の特性である。」(p.207)

「習慣は、意味ある関係を築くことによって、感情と行動の思慮深い媒介者―将来の行動のための暫定的で不完全な規則―となる。習慣は一般に、前もって想像されることによって、複雑化していき、強固なものとなる。」(パース) 

「習慣は、記号作用が比較的安定している時期あるいは状態を表示する。」(pp.207-208)

「習慣の第三次性(Thirdness)によって、急変やショックから、つまり第二次性(Secondness)の「残酷さ」から、一般に守られている」(p.208)

記号論の第一次性…はここでは説明しません。あまり説明する自信ないです。) 

つまり、習慣とは記号過程にしみ込んだようなものであり、その記号過程としての思考とは個人に限らず、同じような経験をした集団にも存在する。

しかし、習慣の断絶あるいは秩序の崩壊の程度があまりにも大きすぎて、習慣が果たすべき役割を、既存の習慣が果たせない場合がある。

本書で示されたような人々の状況はそのようなもの。このような第二次性が破綻する契機こそ、行為主体性をもたらす契機と呼ぶもの。

 

もちろん、難民になる前には「国家」および「作られた〈国家の歴史〉」は私たちと同じような存在としてあったかもしれない。

しかし、事例にみられるような国家からの疎外、それにともなう圧倒的な苦しみというような、それまでの習慣では対処できないようなものによって、国家が不適切な習慣として、多くの人々にとってそれを変更せざるをえないという状況になり、行為主体性をもたらす契機となった。

 

行為主体性の様子

①再吸収(第一期の移民)

②国家とは全く違う新しい習慣(第三期 精神のディアスポラとして生きていくことを選ぼうとしている。しかし、これは時間がたってみないとどう習慣となるかは分からない。)

 

このように国民国家という枠組みにとらえられないような英国タミル人の流れは

「社会的プロセス―新しく生まれる社会的アイデンティティが定着した慣習をかき乱し、「同一性と相違点」からなる従来の社会的ネットワークを不適切なものにするにつれて、固定的なアイデンティティと定着した慣習を新しく構築される特質にとけこませようとするプロセス」(Connolly 1991からの引用) 

といえる。

 

 

自分用のメモを改変したので少し分かりづらい部分もあると思いますので、時々編集できればと思います。

しかし、ハイデガーの道具についての存在論とパースの記号論の適用に関する刺激はお伝えできたですかね。以上。

 

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

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