Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。まだまだ勉強中なのでご教示ください。

CEU第4週

大学が始まって第4週の金曜日の夜、僕はOszkarというシェアライディングに乗りながらこの記事を書いている。

OszkarはUberの長距離版のようなもの、ハンガリーでは公共交通機関があまり機能していないために、このやや法的に、そして安全面でグレーな移動手段が普及している。サイトで自分の行きたい区間と時間を選ぶといくつか選択肢が出てくるので、運転手とマッチングできれば、集合場所に行って乗せてもらう。到着すれば、現金を渡して別れる。

今乗っているのは、実は今月になって3回目の運転手だ。大きなバンに運転手を含めて8人乗せて高速道路を130km/hで走っている。この人は毎週金曜日にウィーンからブダペストを通って、ハンガリーの東側の街ミシュコルツ(Miskolc)を通り過ぎて、スロバキア国境の村まで運転する。多分合計で7時間くらい運転している。しかも日曜日になればまたウィーンまで逆の順番で帰るのだ。おそらくウィーンで仕事をしているが家族がハンガリーの村に住んでいるのだろう。自分なら絶対やらない。家族をウィーンに呼んで一緒に住むだろう。仮に父母がいたとしても最大でも月1回帰るといったところだろう。

この実家にめっちゃ帰るという現象は、ハンガリーに特徴的なのか、逆に日本の家族が疎遠(独立志向)なのか、あるいは自分がたまたまそういう家族なのか(千葉で大学に通っている時には名古屋の実家には年3回くらい帰っていた)、あるいはハンガリーでたまたまそういう家族と会うことが多いのか、といろいろ考えることが多いが、平均してハンガリーではより一般的だと思う。

僕がこれをしているのはパートナーに会うため、彼女の実家に行くためだ。9月はほぼ毎週末ブダペストの寮と彼女の実家を往復している。金額は片道2500-3000HUF(1200-1600円くらい)なので対したことはないが、3時間という時間がきつい。おまけにハンガリーの道路は凸凹が多く、ドライバーの運転も日本より荒い+マニュアル車なので乗り心地が悪い。ちょうど今高速から降りて街に入ったからさらに悪い。タイプミスがあったらそのせいだ。しかも、毎週授業のための勉強がきつい中で金曜が奪われるのはきつい。そんなこと言ったって会うために行っているのだから仕方ない。

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高速で見かけたSKODAのクラシックカー。アメ車のクラシックカーも良いけど、ソ連時代のクラシックカーもいい。個人的には「グッバイ・レーニン」とかに出てくるLADAのクラシックカーが好き。

わざわざ毎回時間と金額を予約して、現金で取引するのは効率が悪すぎる。あとこんな個人の自動車ばかり走っていたら環境に悪い。これはハンガリーの政府や企業がインフラに初期投資しないから起こることで、日本や西ヨーロッパのような鉄道・バスシステムが整備されれば、解決する話。初期投資しないから政府や交通機関にお金が入らない、そしてさらに公共交通機関への投資が遅れるという悪循環。

と、ここで既にOszkarのことだけで1,000字以上書いているので(笑)、ここら辺で大学の話題に移りたい。

 

大学は第4週目だった。全てのオリエンテーションも終わり、本格的な授業が開始されたという感じだ。

まだ授業の登録期間ではあるが、学生はほとんど履修科目を決定している。

履修は第一週から始まったアカデミック・ライティング(これは今週が最後の授業だった)と、必修科目が3授業8単位+選択科目が2授業6単位。このように書くと大したことないように思えるが、授業数と単位が比例していないことからもわかる通り、4単位の授業がある。4単位ということは、休憩をはさんで3時間の授業があるということだ。その分課題の文献の量も多いし、求められることも多い。

平均すると一つの授業で大体一回に50-100頁の文献が与えられる。つまり単純計算で250-500頁というわけだ。それを踏まえて、オンライン上または授業中のディスカッションに参加することが求められる。

今のところ英語力の足りなさを実感するほど、ぎりぎり追いつかない感じだ。いや、ぜんぜん追いついていないかもしれない。クラスメートに聞いてみたら、やっぱりきついらしい。そんなこと言ったって彼ら彼女ら授業中めっちゃ発言するけどね…。ちなみに他の学部でも同じように相当な量の課題が出ているようだ。ジェンダースタディーのプラグラムのジョージアからの学生は「教員は私たちがその授業しか受けていないみたいに課題を出す」と笑い、政治学(多分)のスペインからの学生に「まだ課題読み切れてないんだよね」と話すと「誰も終えてないよ」と言われた。まあ、みんなそうなのか、じゃあまあ…。

英語力はもう少し鍛えておいた方が良かった感がある。入学の条件はTOEFL87点を自分は上回っているけど、いや全然足りないですわ。

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ブダペスト・キャンパスから徒歩7分で国会議事堂前のドナウ川に出る。何度見ても美しい。

 

ただし、いいことも沢山あった。

アカデミック・ライティングの授業が終わるというので、教員と一対一のconsultation(相談)をした。

アカデミック・ライティング・センターのページから開いている時間を予約して、オフィスに伺う。

図書館の前の明るいオフィスで相談をした。

丸いテーブルと椅子にオレンジ色のデスクライト。「ウィーンでの住む場所は決まった?担当教員を考えている?」などと関係のない会話から始まって、自分のライティングについていろいろと意見をくれた。

ライティングは(も)あまり自信がないのだけど、いいところを的確に拾い上げてくれると同時に、納得するような説明の仕方で自分に足りない部分を指摘してくれて、建設的だった。

「ライティングの形式は少し置いといて、もう少しあなた自身の声、あなたが何をどんな論理で考えているのかを文章の中に入れたほうが良い」というアドバイスはとても新鮮に感じられた。

どうしても一対一のconsultationというと、緊張してしまう部分が自分の中にはあるが、このような雰囲気だと何度でもしたい感じ。

クラスメートや他の学生は教員のオフィスアワーにアポイントを取って、どんどん会いに行っている。学部の先生もとても優しい雰囲気で、同じように相談に応じてくれるのだろうか。

日本の教育の中で育った自分は、教員や誰かとの一対一の相談、面接というのは「怒られる」「間違いを指摘される」などネガティブなイメージが強く、自分の中でもそれが内面化されていて自分からはオフィスアワーに訪ねたことはまだない。一人の教員がDoodle(日程調整フォーム)を作って予約を入れるようにメールを送ってくれたので来週には一つ入れてみた。

それにしても、あの、日本の教育の仕方は良くないと思う。相談なんかしたもんなら、やり込められる感じ。潰しておいて、這い上がってなんぼみたいな。本当に良くない。

日本でも研究室によって色々あるのだろうけど、CEUのこの雰囲気の中で自分のプログラムを遂行できるのだと思うと、それだけでも価値があったなと思う。

 

相談といえば、授業の一つに研究とは何かみたいな文献を読みながら、自分の研究について考えて最終的には研究計画書を書くことを目的にするものがあるのだが、大体いつもペアやグループになって相談・意見交換をする。

ある時にはテーマごとにグループになるとのことだったのだが、自分の関心(=環境)に近い学生がいなかったため、PhDの学生TAとペアになった。(ちなみに学生のテーマとしてはメディア、ヘルス、グローバリゼーションなどが多かった)

パレスチナ出身の彼は、パレスチナにおいてイスラエルの植民地支配によって失われたオリーブ農業のエコロジカルなローカル・ノレッジをテーマにしている。自分の研究計画書に書いてあることにも造詣が深く、的確な指摘をくれた。

良い部分をちゃんと言語化して教えてくれる。そしてもちろん否定はしない。「ここが欠けているよね。でも、それはこの授業で学んでいくことだから問題ないよ。」と言ってくれた。こういう優しい方法で指摘されると「自分は憐れまれているのではないか」と変に疑ってしまうのだが、そんなつもりはないのだろう。

「Now, you are in the right place.」(今、君は正しい場所にいる)と言ってくれたことが嬉しかった。

 

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寮からの眺め。秋と排気ガスの匂い。

***

 

今週は授業の数が少ないとはいえ自分の能力と課題を終わらせるための時間が足りないことが明らかになった週だった。

本格的に始まった中で自分の課題を実感するとともに、やっぱり来てよかったと思っている。

 

自分の考えや気持ちを整理するためにも毎週末に一本くらい記事をかければ良いのだけど、どうだろうか。結局金曜Oszkarの中で書き始めたこの記事も翌週の火曜になって終わらせているのだけど。