Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。まだまだ勉強中なのでご教示ください。

バベルの世界―銃、性、言語、誤解

先日、東京都美術館で開催されていた「バベルの塔展」に行ってきた。

babel2017.jp

絵画自体はもちろん素晴らしかったのであるが、絵画にも映画にも何回も使われるモチーフである「バベル」について前から書きたかったことがあったので書いてみる。

 

バベルとは、ご周知のとおり旧約聖書「創世記」の一部分である。

要約すると、そのときバビロンに住んでいて同じ言語を話していた人びとは天まで届くような高い塔(バベルの塔)を建設しようとする。

このような人びとの行動に神は怒りを覚え、人びとにコミュニケーションさせないように話す言葉をバラバラにしてしまう。このことから混乱が起き、塔の建設は断念、人びとは世界各地に散る。

このことによって世界に住む人間の話す言葉が違うようになってしまったという話。

 

この話を初めて聞いた時には、何という悲しい話なんだろうと思ったが、一方で真理を捉えている気がした。

 

小さい頃、なぜ世界の人びとの言葉がこんなにも違うのだろうと思った。そして、人間全員が一つの言語を話せばどんなにいいだろうと思いもした。

面倒なことは無くなり、平和になるだろうと。

今はそこまで極端なことは思わないが、共感する部分も無くはない。

 

ここで、映画「BABEL」を見てみる。


Babel (2006)-Full Movie-[HD]

アメリカ、メキシコ、モロッコ、日本を舞台として、互いの出来事が強く共鳴し増幅されながら同時並行的に物語が進んでいく。

映像と音楽の素晴らしさもさることながら、何といっても物語に通底する「バベル」の物語を現代を舞台として生々しくも鮮やかに表現したところには圧倒された。

 

これはバベルの世界であって、まさしく現代の世界だ。

そしてそこには救いがない。なぜなら、アメリカ、メキシコ、モロッコ、日本(そして聾の人びとの手話)それぞれの言語が異なるために、あるいはコミュニケーションできないために、互いを理解することができないからである。

だから、少年が兄と遊びで撃った銃弾が国際問題となり、聾の女子高生は激しく愛を求めるも叶わない。

人間は相変わらず性を求め、銃で武装する。それでもそれなりに平和にやっている。

しかし、言語の壁、「文化」の壁、国境の壁がそれをバラバラにして誤解をもたらす。そして、その誤解は限りなく増幅され世界を分断し、人びとは恐怖からいがみ合いをし続ける。

実際に起こっている国際問題もこんなことばかりなんだろう。

 

とにかく悲しい。

これが神の下した罰ならば、あまりにも酷いのではないか。

バベルの世界に救いはあるのか。

相変わらず今後の世界も戦争が続くしかないのか。

もはやどうすればいいのか分からないほどの絶望が襲ってくる。

 

でも、世界がバベルの世界であると分かったことは、ひょっとしたら少しの希望であるかもしれない。

完全に誰かと理解できるなんてことはない。むしろ誤解ばかりだ。だから過信しないこと。これが分かることは少しの希望かもしれない。

 

最後に、このテーマを簡潔に表しているCage the ElephantのAberdeenのMVを。

www.youtube.com

 

 

 

バベル (字幕版)

バベル (字幕版)

 

 

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)

 

 

アドリアナ・ペトリーナ『曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民』

 

曝された生

曝された生

 

 最大規模の原発事故後、放射線を大量に浴びたウクライナの人びとは経済状況も破綻している社会でどのように生き延びたのか。

そこに「科学」はどのように介入したのか。

生々しさと冷静さが入り混じったエスノグラフィー。

 

目次

彼らはどうやって生き延びたのか―二〇一三年版への序

第一章 チェルノブイリ後の生政治(パイオポリティクス)

第二章 専門家の過ち―生命とリスクの見積もり

第三章 歴史の中のチェルノブイリ

第四章 仕事としての病い―人間市場への移行

第五章 生物学的市民権

第六章 現地の科学(ローカル・サイエンス)と生体的(オーガニック)プロセス

第七章 自己アイデンティティと社会的アイデンティティの変化

第八章 結論

 

キーワード

300頁を超える分量で、本書を理解するうえで重要なポイントは章ごとで完全に分かれるようにも書かれていないため、ここでは4つのキーワードをピックアップする。

放射線のリスク

②科学・医学のでき方

③生権力

④生物学的市民

 

放射線のリスク

1986年4月26日、チェルノブイリ原発4号炉の爆発。

当時の書記官ゴルバチョフは核の放出を認めるまでの間に18日が経過する。(p.32)

事故現場に近い市民、事故処理活動を行っていた60万人(かそれ以上)作業員が長期にわたって被爆する。

立入禁止区域(ゾーン)での作業は当時の平均よりも格段に良い給料が貰えるため、基準値の被爆量を超えて働く作業員も多く、また管理もされなかった。

政府は事故の保障の責任をなるべく認めたくないため、政府による調査のデータには影響が出る。

一方、市民は保障を受けるために様々な放射線の影響を訴える。

このように政府の政治的な状況や、国民の経済的状況を巻き込んだ事故後の状態によって放射線の影響の生物学的不確実性は増加する。

少し長いが本文から引用。

 環境汚染地図の作成、個人および人口レベルでの被爆量の測定、病気の訴えの調停といった行政的・科学的介入によって、チェルノブイリ後の経験はそれを取り巻く官僚機構や法的枠組みをめぐる複雑な政治的・医療的経験として再編されることになった。災害の規模と生物学的影響を検証した当初の―賛否の分かれた―科学的・医学的調査、事故の公表を遅らせるという選択、ゾーン内で働く経済的インセンティヴといった事情により、チェルノブイリは独自の「科学技術が生んだ大惨事」の相貌を呈してきた。…単に過剰な放射線被爆ばかりでなく、政策による介入そのものが新たな生物学的不確実性を増幅させてきたということをこの言葉は示している。(p.34)

このように、様々な状況が絡み合うことで、放射線が人体にどのくらい影響するのかについて(「客観的」に)明確な答えを出すことはますますできなくなっているのである。

はっきり言って「よくわからない」というような状況。

そして、このような状況を前提として科学・医学はできてくる。

 

②科学・医学のでき方

そもそも、放射線を人がどのくらい浴びたかということを事後的に判断することは難しい。基礎科学で行われている研究でも専門家の意見は分かれるという。(p.75)

さらに①で見たように、当時の状況によって放射線の不確実性は増加しており、ますますわからない。

 

このような状況で科学・医学は放射線について測定し、診断し、保証の対象にするか否かを決定しなければならない。

 

しかし、放射線とそれに伴う身体被害に関する知見というものは曖昧だ。

被爆したことによる白血病を例にするならば、どのくらいの白血球の増加を、どのくらいの期間にわたって測定するかによって、患者がどのくらいの放射線を浴びたのかという診断は変わってくる。

そしてどのくらいの放射線を浴びたことで「患者」として認定し、検査・治療するのかも現地の状況で変わってくる。(実際、当時の医療現場では急性放射線症(ARS)の基準値が200レムから250レムへと引き上げられた。p.83)

 

このように放射線を受けた人体についての科学的な知識というものはそれぞれの専門家も一致した見解を出すことは難しいし、実際のところまだよく分からない。

それぞれの立場、状況、過去データの使用方法、健康の概念(証明されたものととらえるか、予期されるものととらえるか)…など様々なことによって変わってくる。

もちろん、新しい技術や研究費が手に入るにしたがって新しい知識は打ち立てられるが、現在のところ、ダメージの正確な値について、完全とよぶにはほど遠い知識しか持ち合わせていない。(p.43)

 

ここで問題となってくるのは、それにまつわる権力である。

しかし、 ある程度確実に言えるのは、科学的知見形成のプロセスは様々な形の権力を正当化し、さらにそれに対して解決策を与えたりしながら、そうした権力と切り離せないものとなっているということだ。(p.43)

 科学ができるとき、医学が診断をするとき、そこには少なからず政府などの権力が影響する。

 

本書の事例を挙げる。(p.84)

事故から一か月ほど経ったとき、ソヴィエト保険証の指導者は、国内の医療関係者の活動をすべてコントロールできずにいた当時のウクライナ保健大臣、アナトリー・ロマネンコに命令を出す。その内容とは、放射線関連の訴えをフィルターにかけるために、科学・医療行政担当者に、植物神経失調症という診断名を用いるように指示をしろというものだった。

植物神経失調症とはソヴィエトの病気の分類法では「精神的要因や、汚染、ストレス、または大気などの」環境要因で発生する病気のことを示す。動悸や吐き気を伴うとする。

これは、大量の「放射線を受けたことによって」引き起こされる急性放射線症(ARS)と同じ症状といえるが、原因が異なる。植物神経失調症では「環境」影響として誘発されるものとされるのである。

つまり、「放射線の影響」と診断することは明らかな保証の対象となるが、「環境の影響」とすれば保証は少なくてすむ。

そして、それに従って現地の医師たちはその通り、様々な症状で入院した7万5000人全ての入院患者に対して「植物神経失調症」と診断したのである。そして、このような現象の前提には放射線について「わからない」ということがある。

このような当局の介入は 、すでに述べたソヴィエトの放射線モニタリング調査の力学も増強させた。つまり、知見がないということが、権威者側の生物科学的知見を浸透させるのに重要だったのである。〔被爆量測定〕技術の欠如は、このようなプロセスに都合がよく、また、ソヴィエトの行政当局が、事故後の状況に一般市民を適応させようとするプロセスにも都合がよかった。(p.85)

このようにして、 科学・医学は権力の作用を受けながら、放射線による影響を測定、診断していった。

逆に言えば、科学・医学は独立したものではなく、常に権力というアクターを含んでいる。

 

③生権力

このように見られる科学の在り方はフーコーの「生権力」という概念を使うとより考えやすくなる。

生権力についてペトリーナはつぎのようにまとめている。

生権力は生命に対するコントロールを意味し、「生とそのメカニズムを明示的な計算の領域へと持ち込み、知‐権力を人間の生の変容をもたらす媒介にした」ものを指す。(フーコー 1980 ただし本文p.46よりそのまま引用)

この権力は規律・監視の客体としての人間の身体のレベルと、規制・コントロール・福祉の客体としての人口集団の二つのレベルで作用する。(粥川による解説pp.319-320も参照)

つまり、フーコーが前近代から近代への権力形態の移行を、生を奪うような死への権力(処刑など)から、生きているものへの管理・統制の権力への移行として考えたように、チェルノブイリでは生きることへの権力の介入が見られる。

そして、権力と科学・医学のような知は切っても切り離せないものとして存在する

 

②の事例でみた通り、このような知‐権力は個人に対して診断・保証を決定し、リスクのある集団(例えば事故現場の作業員)に対しては代償を曖昧にしたままにするなどして作用している。

 

④生物学的市民

以上のようにして、放射線に曝され、かつ権力のもとに置かれた市民たちはどのようにして生き残ったのか。

ここでペトリーナは生物学的市民権(バイオロジカル・シティズンシップ)という考え方を用いてチェルノブイリの人びとの生きるありさまを分析する。

そもそもシティズンシップ(citizenship)とは市民であるということの条件と権利、それが国家から承認されている状態のことと考えてよい。

市民であることのメンバーシップ。

それをチェルノブイリの「市民」(全国民とは一致しない)は生物学的なものによって得ているのである。

 

これについて理解するためには事故後にウクライナソ連から独立した経緯も考えなければならない。

国民国家(nation-state)が成立するための条件として民族(ナショナリティもしくはエスニシティ)をあげることは多い。一つの国民(民族)に一つの国家があるというものが、近代的な国民国家の一般的な形だと考えられている。

しかし、ウクライナの場合はウクライナ人、ウズベク人、エストニア人などの様々な民族(ナショナリティ)がおり、グローバル化の流れもあって強固な国民国家ソ連から独立して作ることは難しいと考えられた。(p.58)

ましてやチェルノブイリという大惨事が起こったときにどのように国民国家を形成するのか。

 

ところが、ウクライナ国民国家として成立するためには逆にチェルノブイリこそが重要な役割を果たしたのである。

「古典的市民権」である市民の自由、人権、参政権に加えて、ソ連の事故処理の批判とともに国民に対してチェルノブイリの保証、福祉の充実を約束し国家としての政治的正当性を主張したのだ。

そして後者には生物学的な知識が不可欠である。

こうした国家建設の時期、生命科学の知識が国家建設のプロセスと安全な生、社会的平等、人権を保証する新しい政策の確立とにおいて、いかに欠くことができない媒介手段となったかを見てとることができる。(p.59)

このようにしてウクライナは1991年に独立した。

それに伴い、被爆量の基準が下げられ、ますます多くの人びとが補償と社会保護の制度に参加することになった。年金と社会保護に充てる国家予算の大半をチェルノブイリ事故の被災者に支給し、約350万人の被災者が支援の対象となった。

 

そして、国民の側もチェルノブイリの補償によって生き残りを図る。

経済状態が非常に悪い中で、社会主義の最低限の生活の保証もなくなったウクライナでは被災者となることで文字通り生きようとする。

ペトリーナがインタビューした放射線センターの診療医はこういった。

「ここで最悪なのは、健康でいることです。」(p.138)

これについてペトリーナはこう分析する。

今日「健康」でいることは国に見捨てられた孤児になるということであり、なんの社会的支援もないまま市場にさらされるということを示唆している。「病い」は、失業や社会の混乱により生じる予測不可能な状況から身を守る手段を与えてくれる。人々は見捨てられないよう必死になって国家との繋がりを維持し、ソヴィエト型市民から生物学的市民(biological citizen)へと自ら転向しているのである。(pp.138-139)

民族誌では様々な人びとが障害認定を受けるためにどのように行為、実践しているのかを緻密に描いていく。

ここでも、障害認定に必要な科学的知見は放射線による障害が「よくわからない」ものとして存在している。

被爆した本人あるいはその子どもに起こる、様々な体の不調がある。しかし、それは放射線に浴びたから発症したのか、しなくても発症したのかよくわからない。

さらに、様々な条件に置かれた(例えば職場が近かったなど)人びとが、様々な程度の不調を訴える。

では、何をもって診断すればよいか、どこに線引きをするのかは難しい。

もちろん、医療機関にはそれなりの基準があるはずだが、それは権力の作用を受けたものであり、時々変更したりする。

賄賂を送ることで診断が変わることもある。

検査結果の証拠書類をいくつも用意し、症状に対して同情を誘うように診察を受けることによって被災者のステータスをもらおうとする。

このような中で、どのように人びとは自らの生物学的なものを利用し、利用されるのか。

これが「生物学的市民」の生きるありさまである。

 

 

それぞれのまとめは以上。

本書が各ポイントのそれぞれがつながっているチェルノブイリの状況について着眼点を移しながら記述していくスタイルだと思いながら読むと理解がはかどるかもしれない。

 

追記

原発事故といえばやはりフクシマを思い出さざるをえない。

2013年版への序では、フクシマの状況について言及している。

また、本人による短いインタビュー記事もある。

omnia.sas.upenn.edu

フクシマについて、チェルノブイリから考えられることも多いはずだ。

原発作業員の線量の管理の不徹底や、放射線についての情報が出てこないことなどはどこでも起きる。また、本書で描かれている通り、放射線の影響について「よくわからない」ことばかりだ。

ヒロシマナガサキで長期的な経過観察をしたように、フクシマについてもチェルノブイリを参考にしながら、長期的に注視しなければならないだろう。

曝された生

曝された生

 

 

国家・権力・知  萱野稔人『権力の読みかた―状況と理論』

 

権力の読みかた―状況と理論

権力の読みかた―状況と理論

 

 フランス哲学を専門とする萱野稔人フーコーの権力論について非常にわかりやすく解説しながら世界で起こっている状況を分析していく。

 

国家とは何か、権力・知とは何かということについてのフーコーの議論を学ぶにはとてもよかった。

目次

序論 国家権力とフーコー権力論のあいだ

状況1 テロリズム主権国家の郊外
    構造改革をつうじた権力の再編成―新しい理研の回路と暴力の図式

状況2 郊外と〈第三世界〉の拡大

    ナショナリズムの逆説

    ポピュリズムのヨーロッパ

理論 フーコーの方法

 

整理

まず、国民に対する暴力を合法的に独占することができる権力の組織として国家を考える。これはウェーバーの国家論に倣っている。

また、暴力を権力源泉にするためには組織化(=脱人格化)が必要であるというのはアーレントの理論。

この二つの権力論のあいだで活動するのが国家である。

 

ところで、フーコーが一望監視装置(パノプティコン)から指摘したように、身体に対して作用する特定の関係性を支えるよなテクノロジーのことを「身体の政治的テクノロジー」という。そして、これは権力を支える。

 

以上のような権力論をもとに国家について考えると、

暴力について合法的に独占できる組織化された国家は、国民の支配の源泉であるがリスクを伴う暴力を極力見えないようにするために、そのための技術である「身体の政治的テクノロジー」を用いる

ということができる。

 

これを頭に入れた状態で現在の状況(テロリズムポピュリズムナショナリズム、郊外…)を見ると、より深く分析ができるというのが「状況」の部分。

(しかし、社会学・人類学などからの事例分析に関する引用がないのはやや説得力に欠けるが)

 

最後の「理論」では改めてより詳細にフーコーの権力論およびそれに関するドゥルーズの解釈を紹介している。

 

そこで特に権力と知の関係について分析を深める。

通常、権力と知(例えば医学)は独立して存在するように考えるが、そんなことはない。

だからといって、一方が他方を規定するのかということでもない。

 

フーコーのいう権力は主観によるものではないため誰が誰にというような人称的なものではなく、常に行使という関係性のなかで考えなければならない。

そして、行使という作用の中には知が必要であり、この二つは連関関係にある。

このように「知と権力によってくみたてられる編成システムを、フーコーは「身体の政治的テクノロジー」と呼ぶ」(p.172)

また、言説は様々な物事を知の価値づけによって編成しているように、それ自体が権力の体現でもある。本文が分かりやすい

権力と知は、協働しながら社会的な実践領野を編成する。言説の編成は、形態化された力の関係において展開されることで、その協働を体現するのである。(p.194)

 

この話は科学技術論とも親和性が高い気がした。

少しフーコーが分かったかも。

 

権力の読みかた―状況と理論

権力の読みかた―状況と理論

 

 

E・ヴァレンタイン・ダニエル「悩める国家、疎外される人々」

 

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

 

 

先に紹介した本書の中でE・ヴァレンタイン・ダニエルの「悩める国家、疎外される人々」が自分の研究分野とも近く、理解を深めるために詳しくまとめていく。

 

E・ヴァレンタイン・ダニエルはスリランカ出身のタミル人であり、南インドおよびスリランカをフィールドとして社会的暴力と難民問題などを研究。(本書著者紹介より)

また、本論文でも出てくるがM.ハイデガーの哲学とC.S.パースの記号論を人類学に組み合わせることに取り組んでいる。(コロンビア大学プロフィールよりhttp://anthropology.columbia.edu/people/profile/350)

 

では、まとめ。はじめにダニエルはこう書く。

国民国家の中心には、審美的動機がある。国民国家も、他の審美形式と同様、無秩序に秩序をもたらし、無形のものに形を与えることを約束する。しかし、たとえこの秩序が、たんに未来の希望…として想定されている場合にも、その希望は、想像上の「過去への栄光」へのノスタルジアに満ちている。」(p.152)

ある領域と人々が近代的な国民国家としての形を持つとき「国家の歴史」=国史が必要となる。これがないとその国に暮らす人々や国外の人々にとって国家の定義つまり「どんな国なのか」ということが定まらないからだ。

様々な歴史があり、様々な「民族」、宗教が入り混じった地域に対して一つの国という形を持たせ、それの「歴史」というものを書くというのは一般に考えられるよりも非常に困難である。

どんな書き方をしても恣意的なものにしかならない。なので「作られた〈国家の歴史〉」とここでは一貫して表記している。

もともとの捉えどころのない(国としての)無秩序の状態から決まった形の「歴史」つまり秩序をもたらすことで、人々は安心して国家について考えることができるようになる。

しかし、もちろん一つの「歴史」(大文字の歴史と呼ばれることもある)が決定した時に、そこに入らなかった人々、事例に対しては排除がおきるため(お前は正当な国の構成要素ではない!ということ)、これには問題が常に付きまとう。

歴史問題が現代日本で存在するものこのようなことからだ。

 

このような「作られた〈国家の歴史〉」および国家という枠組みに対する人々の捉え方について本論文では取り組んでいる。

具体的には、英国に移住したスリランカ・タミル人について調査をした結果をもとに分析を行っている。

 

 多くの先行研究では、人々はどこであれ国民国家に帰属するものだとして、そのアイデンティティ・ポリティックスについて考えてきたが、本論文で見るような第三期の難民にとってはそれは当てはまらないとする。

なぜなら彼らは「あらゆる国家に対して背を向けた」(p.154)からである。

このような人々にとって国家とはどのようなものなのか、このような対処にはどのような変遷があるのかということについて事例から見ていく。

(以下の項分けは本論文に準ずる)

英国のタミル人

そもそも、英国のタミル人とはどのような人々なのか。ダニエルは以下の三つのカテゴリーに分ける。

  • 第一期 1950年代 セイロンが英国の植民地支配から独立した初期(1948年独立)
  • 第二期 1960~70年代 大学が広く開放していた時期にスリランカにおいてタミル人としての息苦しさから留学
  • 第三期 1980年代初期に、スリランカの内戦を逃れたタミル人
第一期―エリートたち

上流階級や上層中流階級の出身。セイロンのエリート校で学び、セイロン人としても自覚をもち、西洋の慣習や様式になじんでいる。法律、医学、工学などの専門職の学位を取り、帰国することを目指す者

国家に関する歴史書を持つなどセイロン人としての自覚。(タミル人としてではない)

 

20世紀前半のある時点で「作られた〈国家の歴史〉」は国家の独立に寄与する「手段としての存在(instrumental entity)」からハイデガーの言う「道具全体(equipmental whole)」へと変化した。

つまり、独立のために主張した「国家の歴史」が(簡単にいえば)「自然なもの」になった。

それぞれのもの一つ一つで存在するのではなく、他のものとの相互依存の関係性つまり道具連関(ネクサス)によってようやく、ある存在になるもの。(インクはインスタンドやペンや紙というものたちのつながりによって道具であるインクになるように)

ここで「作られた〈国家の歴史〉」は国語や民族衣装などとのつながりに組み込まれる中のナショナリズムという道具全体の中のものとなる。

これによって利用可能性(availableness)、透明なものとなった。つまり、「作られた〈国家の歴史〉」についての本を書棚に置くこともできるし、それについて疑問視しなくてもいいようなものとなった。

 

しかし、転機が訪れる。

1956年の「シンハラ・オンリー法」(公用語シンハラ語のみにするという法律)だ。

セイロン国家とその「作られた〈国家の歴史〉」に対する彼らの権利は、疑わしいものとなった。タミル語を話すタミル人たちは自らが国家の枠組みに入らないことになってしまう。

しかし、だからといって「作られた〈国家の歴史〉」の「現事実性(facticity)」がハイデガーのいう「事物的存在性(occurentness)」(存在者が、帰属している環境世界から切り離されて独立しているあり方)に投じられることはなかった。しかし、その可能性は出てきた。

道具の透明感がなくなってくる。「道具の機能が不調になると、その道具は目立ってくる。」(ドレイファス)

より「伝統」を求める→別の文脈に再接合し適応(シンハラとタミルのどちらもが南インドから来ている、と考えることで対処)

 

第二期―学生たち

1960-70年代における大学、学校は様々な層に解放された。

しかし、タミル人にとってはより教育は貴重になった。大学にはタミル人が入りにくい定員割り当て&タミル人を大学、行政職、軍隊から締め出しがあったため、英国に移住する若者が出てきた。

これらの学生にとっては「作られた〈国家の歴史〉」は自分たちのものではなくなった。
「作られた〈国家の歴史〉」はスリランカ=シンハラ人の歴史だと考え、スリランカとは異なるタミルの歴史を支持する。LTTE(タミル・イラーム解放のトラ)の最高指導者プラバカランをタミル人の考える君主の姿だとして考える。

 

国家の「利用不可能性」への対応

ここでダニエルは英国のタミル人たちにおける国家の「利用不可能性」への対応についてまとめている。

第一期の移民:「没入的対処(absorbed coping)」。慣習的な行為が妨げられたことに一瞬驚いたあと、すぐに適応し、そのまま何事もなかったかのように進み続ける。

第二期と第三期:「熟慮的対処(deliberate coping)」と思慮(deliberation)。行われていることに注意を向け、自分の行動の結果を念頭に置いて、慎重に行動する対処法。

←ここでは習慣に関して主体/客体というようなデカルト唯心論的な思考について示しているのではなく、習慣に対して肉体と共に思慮するようなことを示す。

 
第三期―難民

1979年のスリランカ政府による「テロリズム防止法(PTA)」によってタミル人に無差別な力の行使があったため、英国に避難。着の身着のままで逃げてきた第三期の難民はどうしても英国に入りたいと必死。英国に入っても英語は話せないし、英国に適応していない。「これは英国で我々が守ってきた紳士的な態度ではない」というように考える。

このような英国タミル人の混乱に対して第一期と第二期(特に第一期)の移民は、既知の社会秩序をもたらそうとした。それは、タミルのカーストとそれに基づく支援、秩序に関する教え。

つまり、自分の知っているタミル的な国家像にもとづいて英国タミル社会を再構築しようとした。

 

第一期移住者の困惑

しかし、第三期の難民にとっては「国家」についてしがみつくような第一期の態度というのは理解に苦しむものであった。

第一期の移民を中心とするタミル人たちは、タミル的な秩序を第三期の難民にもたらすことができなくなったとき、スリランカ軍やインド軍と戦うことを「選んだ」若い男女=「武力解放組織」を支援するようになる。

というのも「武装解放組織」はタミル的な国家の形成を目指しており、国家の枠組み、秩序を求めたい第一期移民には好意的に映った。

 

第三期―予想外の到着地

子どもたち

この二項では第三期の難民たちが疎外されているのかについて詳細に記述。

アイデンティティの多様化

上の2項から、第三期の難民にとっては、スリランカ国家、タミル国家、移民先のイギリス国家というすべての国家に対して疑念を抱いていた様子が分かった。

これらの事例からみられるように、第三期の難民にとっては国家というものはそれらが必要となり求めるほど、それらの利用不可能性に出会う。国家は自分を疎外しつづけ助けてくれないことから信用ならないものとしてある。ここでいう信用とは「確かなものとして受け入れる」ということを示す。

つまり、彼らにとって「作られた〈国家の歴史〉」は無意味な存在になった。

むしろ彼らは国境を越えた国際人やアムネスティ・インターナショナルのようなものに興味を持っている。

 

国を追われた人びとと行為主体となる契機(アジェンティブ・モーメント)

この項は結論と理論化部分。

どのような意味で、これらの第三期の難民たちが国家を超越し、日常生活や基本的なものの見方に対する国家の支配を脱したといえるのだろうか。

彼らの永続的な苦しみからどのように国家を否定するのか。

このような苦しみが行為主体性をもたらす契機が関わっているとダニエルはいう。

 

ここでパースの記号論について

パースはデカルト的な完結した主体への批判をして、自己意識が記号過程であると考えた。(これは以前の『森は考える』でも出てきた話*1) 

「人間(パーソン)あるいは個人(インディビジュアル)という言葉は、記号(あるいは記号活動)の比較的密度の高い集まりを便宜的に表すものにすぎず、その密度は、それらの記号が習慣性をおびる特性によって左右される。」(p.206) 

 

このような思考としての内的対話は、人が行為主体となるための契機の場となる。これを考えるためには習慣について考えなければならない。

 

記号論における習慣について分かりやすい箇所の引用。

 「もし「自己」が一塊りの記号作用であり、記号作用は、経験から、非自己との遭遇から、継続的に推論をおこなうプロセスであるとすれば、推論も期待を生みだす。そして、期待は習慣の特性である。」(p.207)

「習慣は、意味ある関係を築くことによって、感情と行動の思慮深い媒介者―将来の行動のための暫定的で不完全な規則―となる。習慣は一般に、前もって想像されることによって、複雑化していき、強固なものとなる。」(パース) 

「習慣は、記号作用が比較的安定している時期あるいは状態を表示する。」(pp.207-208)

「習慣の第三次性(Thirdness)によって、急変やショックから、つまり第二次性(Secondness)の「残酷さ」から、一般に守られている」(p.208)

記号論の第一次性…はここでは説明しません。あまり説明する自信ないです。) 

つまり、習慣とは記号過程にしみ込んだようなものであり、その記号過程としての思考とは個人に限らず、同じような経験をした集団にも存在する。

しかし、習慣の断絶あるいは秩序の崩壊の程度があまりにも大きすぎて、習慣が果たすべき役割を、既存の習慣が果たせない場合がある。

本書で示されたような人々の状況はそのようなもの。このような第二次性が破綻する契機こそ、行為主体性をもたらす契機と呼ぶもの。

 

もちろん、難民になる前には「国家」および「作られた〈国家の歴史〉」は私たちと同じような存在としてあったかもしれない。

しかし、事例にみられるような国家からの疎外、それにともなう圧倒的な苦しみというような、それまでの習慣では対処できないようなものによって、国家が不適切な習慣として、多くの人々にとってそれを変更せざるをえないという状況になり、行為主体性をもたらす契機となった。

 

行為主体性の様子

①再吸収(第一期の移民)

②国家とは全く違う新しい習慣(第三期 精神のディアスポラとして生きていくことを選ぼうとしている。しかし、これは時間がたってみないとどう習慣となるかは分からない。)

 

このように国民国家という枠組みにとらえられないような英国タミル人の流れは

「社会的プロセス―新しく生まれる社会的アイデンティティが定着した慣習をかき乱し、「同一性と相違点」からなる従来の社会的ネットワークを不適切なものにするにつれて、固定的なアイデンティティと定着した慣習を新しく構築される特質にとけこませようとするプロセス」(Connolly 1991からの引用) 

といえる。

 

 

自分用のメモを改変したので少し分かりづらい部分もあると思いますので、時々編集できればと思います。

しかし、ハイデガーの道具についての存在論とパースの記号論の適用に関する刺激はお伝えできたですかね。以上。

 

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

 

 

アーサー・クラインマン編『他者の苦しみへの責任 ソーシャル・サファリングを知る』

 

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

 

医療人類学者を中心に6つの論文集を収録したもの。(原書は15の論文が収録されていたが、翻訳の段階で6つに絞ったらしい。)

以前から存在は知っていたが、たまたま古本屋で見つけたので買ってみたが、非常に興味深い論文ばかりで、自分としては今まで読んだ論集の中で一番かも。

 

翻訳本のタイトルとはかなり様子が違うが、原著のタイトルはSocial Sufferingなので、この概念について様々な視点から様々な事例をもとに捉えようとしている。

 

目次

序論 アーサー・クラインマン、ヴィーナ・ダス、マーガレット・ロック

  • 遠くの苦しみへの接近とメディア
     「苦しむ人々・衝撃的な映像―現代における苦しみの文化的流用」
      アーサー・クラインマン、ジョーン・クラインマン
  • 声なき者の表現を掘り起こす/インド・パキスタン
     「言語と身体―痛みの表現におけるそれぞれの働き」
      ヴィーナ・ダス
  • トリアージの必要を問う「極度の」苦しみ/ハイチ
     「人々の「苦しみ」と構造的暴力―底辺から見えるもの」
      ポール・ファーマー
  • 医療テクノロジーと人権/日本
     「「苦しみ」の転換―北米と日本における死の再構築」
      マーガレット・ロック
  • 移民の苦しみのありか/スリランカ・英国
     「悩める国家、疎外される人々」
      E・ヴァレンタイン・ダニエル
  • 抑圧装置の解体
     「拷問―非人間的・屈辱的な残虐行為」
      タラル・アサド

 

序論ではソーシャル・サファリングという概念について説明する。

様々な不幸、苦しみに対して従来の二分法―社会と個人、健康問題と社会問題、経験と表象、苦しみと介入など―を排除して考えなければならない。

苦しみが社会的であるとともに、個人的であるであるということを忘れ、そのどちらかの側面だけを捉えた場合、他者の苦しみについて知ることはできない。

ソーシャル・サファリングを知るために、このような二分法を超えたところに各論文は位置しているという。

 

各論文はそれぞれケビン・カーターの写真にまつわる表象と消費の問題、痛みということに関するヴィトゲンシュタイン言語哲学的なアプローチ、究極的な苦しみを経験するハイチの人びとと構造的暴力について、脳死と臓器移植にまつわる死の問題が北米と日本ではどう違うのか、タミル移民と国家についての記述、拷問という行為に関する考察で、どれも眼を背けたくなるほどの苦しみがあるが、それに正面から向き合う。

 

ともするとこんな世界のどこかの他者の苦しみなど関係ないと言ってしまうかもしれない。

しかし、本書を読めば決してそんなことはないといえるだろう。クラインマンの他の編著もいくつか翻訳が出ている。

 

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る

 

  

八つの人生の物語―不確かで危険に満ちた時代を道徳的に生きるということ

八つの人生の物語―不確かで危険に満ちた時代を道徳的に生きるということ

 

 

 

病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学

病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学

 

 

住むことは生きること。貪欲たれ。 坂口恭平『TOKYO0円ハウス0円生活』

 

TOKYO 0円ハウス 0円生活 (河出文庫)

TOKYO 0円ハウス 0円生活 (河出文庫)

 

 建築畑出身の著者が東京・隅田川沿いのブルーシートハウスの「鈴木さん」の家に入り浸り(れっきとしたフィールドワーク!)ながら独自の視点でその生活を書き綴ったもの。

 

川沿いや橋の下、公園の端に立ててあるブルーシートハウスは普段目にすることも多い。しかし、無意識に見ないようにしていたり、ちらっと見たとしても中の様子など分からない。

しかし、この中には人が生きるという世界が詰まっている。

そしてこの「建築」自体も生きることそのものである。

それは外枠ばかりの建物に住んでいる者たちが忘れていることである。

「自分が快適に生きる。」この目的のために家はあるはずなのに、どうして家に閉じ込められるようにして不快な思いをしなければならないのか?

しかも、快適さを追求しようとするほどに莫大な金額がかかり、他の人間が作った大したことないものを手に入れる。

一方、「鈴木さん」の家は総工費0円。そして維持費も0円。東京の天然物たる「ゴミ」(しかしほとんどは十分に使えるものばかり)を材料に、自分の生活に合うように自分で工夫して作り、改良し続ける。

こんな究極であり、かつ当たり前であるはずの住まいが東京にあるとは誰が思っただろうか?

そう、「鈴木さん」が隣人に教えるようにして書かれた本書を手に、君もこの暮らしを手に入れることができるのだ。温かみのありながらも端正な図説も載っている。

だから、これは「危険な書」である。

 

住むことは生きること。貪欲たれ。

 

坂口恭平さんは進化し続けているが、「建築」という眼を通して見られた本書は源泉なのかもしれない。

他の本も読む。

 

TOKYO 0円ハウス 0円生活 (河出文庫)

TOKYO 0円ハウス 0円生活 (河出文庫)

 

 

 

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

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現実脱出論 (講談社現代新書)

現実脱出論 (講談社現代新書)

 

 

どのように他者に共感できるのか? 映画「トトとふたりの姉」

www.totosisters.com


映画『トトとふたりの姉』劇場予告編

 

先日、「トトとふたりの姉」という映画を観てきた。この映画を通してどのように他者に共感できるのかについて考えてみたい。

あらすじ

ルーマニアの貧しいロマ(ジプシー)・コミュニティの中で、トトと2人の姉は3人で暮らしていた。というのも、母親はドラックの売人をしていて刑務所で服役しており、父親は顔すら知らないからだ。おじが時々、食事を持ってきてくれるが同時にドラッグ仲間を連れてきて溜まり場になってしまう。

3人は喧嘩をしながらも一緒に暮らし、何度も生活を立て直そうと掃除をしてもすぐにドラッグ常習者の溜まり場に後戻りし、一番上の姉であるアナもドラッグに手を染めることになる。

そんなある日の早朝、警察の強制立ち入りが行われアナを含んで部屋にいた人は逮捕される。トトと2番目の姉であるアンドレアは周囲の人の勧めもあり、孤児院に入って自分の暮らしをやり直そうとする。

トトは児童クラブのダンススクールを励みに取り組み、アンドレアは監督からカメラを渡されて独白をしながら気持ちの整理をしていく。

アナも出所後、二人に合流して孤児院で生活しようと試みるが、ドラッグの生活に戻ってしまう。母親は7年の刑期を終えて家に戻るが、トトとアンドレアは母親と暮らす気はもうなかった…。

 

他者化と共感 ―このような映画を見る意味とは?

映像の中では、極度の貧困や使い回された注射器で首の血管にドラッグを注射する様子が映し出されるなど、ルーマニアにこんな現実があるのには驚きだった。(日本にもこのような場所はあるかもしれないが)

しかし、このような中でもトトとアンドレアは懸命に生きている。「生きることは戦いよ」と児童クラブの先生が言ったように。

 

全く行ったことも見たこともないような離れた地に、自分とは全く違うような生活をしているトトたちにどのように共感できるのだろうか。

この映画を「可愛そうな異国の少年の話」として考えてしまっていては「ルーマニアは酷い。でも、この少年は無邪気ながらに頑張っている。」というように見てしまう。

しかし、それではダメだ。そのような他者化は「ルーマニアのあの地域に生まれなかった自分は恵まれている」という風にもなりかねない。自分に差し迫った形での共感はここにはない。

では、どうするのか?

ある部分(置かれた状況)では自分とトトが同じであると構造的に考えることであろう。これは結構難しい。特に、社会的な背景などの説明がない映像作品ならば。

しかし、逆に映像作品による別の共感の仕方もある。

それは、映像として映し出すことによって、その映りこんだ何気ない部分に圧倒的な存在を感じ、自分も同じ人間なのだというような共感をすることがある。

これは以前書いたロラン・バルトの写真論とも共通すると思う。*1

その部分が(私にとっては)トトの下向きの眉毛であったり、アンドレアの肌の質感であったりする。

このような方法の共感の在り方もある。そこに映像としての意味があるのかもしれない。だからドキュメンタリーは映画館で見るといいと思った。

 

観た皆さんはどうでしたか?どこから共感しましたか?