Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。まだまだ勉強中なのでご教示ください。

CEU秋学期を終えてクリスマス休暇

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Shonbrunの片隅にあったいい感じの廃墟

10月末に書いたあと、中間レポートと期末レポートがほぼ間髪入れずに課せられて、初めて学術的なレポートを書くというのはなかなかきつかった。

アカデミック・ライティングの教育は授業が9月のブダペスト・キャンパスで一か月間毎週あった後、あとはライティングのグループでの相互補助と「何かあったらいつでも書いたものを送ってきてね、面談するから」というシステムになっている。

ただ、自分やライティング・グループのメンバーたちも数日前にようやく書き始めて、締め切りの数時間前(あるいは数分前、あるいは数時間後)に提出するというありさまなので、お互いの原稿を読みあって、添削することはできなかった。

クラスメートの約半数が英語での教育が初めてなこともあって、困っている人も多いみたいだ。毎日のように交わされるグループチャットでの会話は、レポートに対する自分の能力の無さへの不満、ストレス、差し迫った時に発せられる助けを求めるような笑いのためのミームにあふれている。

レポートを除いて他の日常的なライティング課題はMoodleにアップされるので、たまに他の人のものを覗いてみると自分よりよっぽどできているので、自分への自信がなくなる。

そもそもライティングの教育をほとんど受けてないことからの絶望と、自分でもなかなか気が重くて取り組まなかったことへの後悔を締め切りの7時間前くらいに考えたりした。

授業が終わった次の週にライティングの先生がウィーンキャンパスに来るというので、ライティングセンターの予約フォームを使って面談の予定を入れる。

面談では、研究計画書の最終版のためのアイデアノートくらいのものを事前に送ってみてもらった。正直、他の人に見てもらうことすら恥ずかしいような代物だったが、面談では「君のテーマはとても面白い。君はほとんどライティングのための教育を受けてきてないんだから、今はとにかく書いて書いて、できたら見せて、っていうのを繰り返すしかない。希望はいつでもあるから。」とアドバイスを優しくしてもらって、とても良かった。同時に、去年に似たようなテーマで書いた学生がいるからリポジトリで見てみるといいよ、と言っていたので早速DLした。

同じプログラムの学生がどのくらいのものを最終的に書き上げるのかを見るのは自分のレベルを見ることと同時に果てしないように見えるこの2年間への畏怖を限定的にすることが出来る。

ざっと読んでみたけど、どうにか自分でもできそうな気がしたので安心した。

 

問題は自分のそもそも英語力の足りなさもあるけど、論理展開や定型的な形式が身についてないこともある。

そして、それの根本には(精読として)読む量が足りてないのだと思う。この休暇はとにかく時間を見つけて興味のある論文や本、学期中に読み切れなかったものを読んでみようと思う。

 

クリスマスはパートナーの実家で過ごすのと、兄夫婦と義母がウィーンに来るので、一緒にブラティスラバとブダペストを回る。

ここは寒くなってきたけど以前交換留学をしていたときよりも寒くなくて、関東での冬くらい。年明けから寒くなるんだろうな。

 

色々だめな部分もあったけど、どうにか学期を生き延びたことを祝福したい。

CEU 第7週

授業期間が始まって第7週。前回の投稿から色々あったこと、思ったことをつらつらと書いていく。

 

CEUではFall, Winter, Spring Termと学年歴が3つの学期に分かれているので(正しくはそれぞれをsemesterならぬtrimesterと呼ぶのだが、大多数の学生・教員は面倒くさいのでsemesterと呼んでいる)、一つの授業は12週間ある。

第7週ということは既に半分を過ぎているということだ。そして、それは同様に中間試験を意味している。試験といっても、この学部はテストではなく、レポートが課せられる。少なくとも大学院レベルの人文社会科学なのだから、記述式や口頭でのテストでは測れない。授業の文献に基づいて設定された問題に回答する形で1000-1500字程度で書く。

授業と文献を読む時間の間を見つけて早く書き始めようと思っているのだが、そもそも授業で課せられる文献すらも満足に読めていないので、まだ書き始められていない。

学部時代、レポートを書くことは実は結構好きだった。自分の考えたことを文献に照らし合わせながら、図書館を行き来し、本に線を引いたり付箋を貼ったりしてまとめたことを基に自分の文章を編み上げていく。卒論を書く経験をしていない自分にとっては、ちょっとした探検のようだった。今回のレポートもそんな感じでやっていければいいのだけど。

 

* * *

授業では中間レポートの他に大体が文献をまとめたプレゼンテーションを一回か二回やることが義務付けられる。

今までに二つの授業でプレゼンをした。学術的なプレゼンを英語でやることは初めてだったので、緊張したが普段使う言語が英語なので、意外とそこまで緊張せずにできた。日常的に授業内の雰囲気がかなりオープンで、間違えたところで否定もしないし、何かしらの建設的な議論につなげることがなされているから、学生が発表者でも萎縮させないのだろう。日本の授業の雰囲気とはかなり異なる。「生意気」みたいな扱いをされることはない。

特に二つ目のプレゼンでは学生が4人しかいないので、ディスカッションを取り入れながらそれなりに上手くできたと思う。

ちなみに、他の学生たちのプレゼンを見るというのも色々面白い。とにかく発表することに慣れている学生がほとんどで、デザインも凝ったものが多い。

残るは学期最後の最終プレゼンだが、それはまた近くなったら考えればよいし、今回のプレゼンはいい練習になったと思う。

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大きめのスーパーに行く途中でみた景色

* * *

二つ目のプレゼンのテーマは自分の関心の環境に関するものだったので、議論が楽しかった。

特に、インドからのPhDの学生が出した例が興味深かった。

インドの環境問題においては大企業の二酸化炭素排出が主な原因なのだが、ドイツからの環境団体がインドに来ては、肉食による二酸化炭素を問題視して「啓蒙」活動を主なっているというのだ。一方、インドではカーストヒンドゥー教の実践において、そもそも肉食をするのはカーストの低い一部の人たちでしかなく、それが西欧的なベジタリン=進んだ考え方という前提と相いれないというのだ。(この話は自分で調べたわけではないので詳しい人がいれば適当に教えてください。)

この例自体が興味深いのと、環境問題において独占的な西洋的な視点(主に環境保護を唱え始めたのは西洋の考え方である)を脱構築しながら、環境保護をしていかないといけないかということが明らかになった。少し話を実践的な方面に進めると、人類学者が環境問題においていかに有益な役割を果たすことが出来るのかが分かる。

ここら辺の話も取り入れながら修論は進めていきたい。

 

* * *

一つの授業では以前も書いたが、研究計画書を書くために社会科学の理論を学びながら、研究計画書を徐々に進めていく。日本で開講されている授業では「~学研究法」の概念に近い。(日本の授業名は内容と一致しないことが多い)

この授業だけはMAの学生全員(32人)で受ける。このような状況になったときに相変わらず人類学や社会学が面白いのは、各々のテーマが一つとして同じものがないということ。特に修士の学生は自分の出身国での事柄をテーマにすることが多いので、地域もかなり広がって、聞いているだけでおもしろい。

ただ、最近の傾向というものはあって、ソーシャル・メディアや医療系、移民はやはり人気。ちなみに環境系のことをやるのは自分しかいなくて少し驚いた。

この授業の終わりまでには最終版の研究計画書を提出する。研究者を育てることに焦点を当てていることがよく分かる。

自分は二年のプログラムなのでまだ余裕はがあるが、一年のプログラムの学生は切迫感がある。しかし、とりあえずアイデアを発表するだけで、方法論も詳しいテーマもまだ全然決まっていない一年のプログラムの学生もいるので少し安心感がある。

 

* * *

最後にキャンパス移動の記録。

がらがらだったキャンパスも徐々に教室にごみ箱が設置されたり、ヒーターやパソコンが大量に山積みになっていたり、飲み物の自動販売機が備え付けられたりしてきた。あと、汚かった灰皿が撤去されて、3mくらい離れた場所に新しい灰皿が設置されたりした。

オーストリアの教育組織(?・OEAD)の人が来て、奨学金や研究資金の説明をしてくれた。ただし、CEUの学生としてこれに申し込みができるのは正式に単位制度がオーストリアのものとなる来年9月22日からだそう。

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大画面はかっこいい

 

 

A17 地球の歩き方 ウィーンとオーストリア 2019~2020

A17 地球の歩き方 ウィーンとオーストリア 2019~2020

 
ウィーンこだわり旅ブック

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ウィーン ――「よそもの」がつくった都市 (ちくま新書)
 
世紀末ウィーンの知の光景

世紀末ウィーンの知の光景

 

 

CEU第4週

大学が始まって第4週の金曜日の夜、僕はOszkarというシェアライディングに乗りながらこの記事を書いている。

OszkarはUberの長距離版のようなもの、ハンガリーでは公共交通機関があまり機能していないために、このやや法的に、そして安全面でグレーな移動手段が普及している。サイトで自分の行きたい区間と時間を選ぶといくつか選択肢が出てくるので、運転手とマッチングできれば、集合場所に行って乗せてもらう。到着すれば、現金を渡して別れる。

今乗っているのは、実は今月になって3回目の運転手だ。大きなバンに運転手を含めて8人乗せて高速道路を130km/hで走っている。この人は毎週金曜日にウィーンからブダペストを通って、ハンガリーの東側の街ミシュコルツ(Miskolc)を通り過ぎて、スロバキア国境の村まで運転する。多分合計で7時間くらい運転している。しかも日曜日になればまたウィーンまで逆の順番で帰るのだ。おそらくウィーンで仕事をしているが家族がハンガリーの村に住んでいるのだろう。自分なら絶対やらない。家族をウィーンに呼んで一緒に住むだろう。仮に父母がいたとしても最大でも月1回帰るといったところだろう。

この実家にめっちゃ帰るという現象は、ハンガリーに特徴的なのか、逆に日本の家族が疎遠(独立志向)なのか、あるいは自分がたまたまそういう家族なのか(千葉で大学に通っている時には名古屋の実家には年3回くらい帰っていた)、あるいはハンガリーでたまたまそういう家族と会うことが多いのか、といろいろ考えることが多いが、平均してハンガリーではより一般的だと思う。

僕がこれをしているのはパートナーに会うため、彼女の実家に行くためだ。9月はほぼ毎週末ブダペストの寮と彼女の実家を往復している。金額は片道2500-3000HUF(1200-1600円くらい)なので対したことはないが、3時間という時間がきつい。おまけにハンガリーの道路は凸凹が多く、ドライバーの運転も日本より荒い+マニュアル車なので乗り心地が悪い。ちょうど今高速から降りて街に入ったからさらに悪い。タイプミスがあったらそのせいだ。しかも、毎週授業のための勉強がきつい中で金曜が奪われるのはきつい。そんなこと言ったって会うために行っているのだから仕方ない。

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高速で見かけたSKODAのクラシックカー。アメ車のクラシックカーも良いけど、ソ連時代のクラシックカーもいい。個人的には「グッバイ・レーニン」とかに出てくるLADAのクラシックカーが好き。

わざわざ毎回時間と金額を予約して、現金で取引するのは効率が悪すぎる。あとこんな個人の自動車ばかり走っていたら環境に悪い。これはハンガリーの政府や企業がインフラに初期投資しないから起こることで、日本や西ヨーロッパのような鉄道・バスシステムが整備されれば、解決する話。初期投資しないから政府や交通機関にお金が入らない、そしてさらに公共交通機関への投資が遅れるという悪循環。

と、ここで既にOszkarのことだけで1,000字以上書いているので(笑)、ここら辺で大学の話題に移りたい。

 

大学は第4週目だった。全てのオリエンテーションも終わり、本格的な授業が開始されたという感じだ。

まだ授業の登録期間ではあるが、学生はほとんど履修科目を決定している。

履修は第一週から始まったアカデミック・ライティング(これは今週が最後の授業だった)と、必修科目が3授業8単位+選択科目が2授業6単位。このように書くと大したことないように思えるが、授業数と単位が比例していないことからもわかる通り、4単位の授業がある。4単位ということは、休憩をはさんで3時間の授業があるということだ。その分課題の文献の量も多いし、求められることも多い。

平均すると一つの授業で大体一回に50-100頁の文献が与えられる。つまり単純計算で250-500頁というわけだ。それを踏まえて、オンライン上または授業中のディスカッションに参加することが求められる。

今のところ英語力の足りなさを実感するほど、ぎりぎり追いつかない感じだ。いや、ぜんぜん追いついていないかもしれない。クラスメートに聞いてみたら、やっぱりきついらしい。そんなこと言ったって彼ら彼女ら授業中めっちゃ発言するけどね…。ちなみに他の学部でも同じように相当な量の課題が出ているようだ。ジェンダースタディーのプラグラムのジョージアからの学生は「教員は私たちがその授業しか受けていないみたいに課題を出す」と笑い、政治学(多分)のスペインからの学生に「まだ課題読み切れてないんだよね」と話すと「誰も終えてないよ」と言われた。まあ、みんなそうなのか、じゃあまあ…。

英語力はもう少し鍛えておいた方が良かった感がある。入学の条件はTOEFL87点を自分は上回っているけど、いや全然足りないですわ。

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ブダペスト・キャンパスから徒歩7分で国会議事堂前のドナウ川に出る。何度見ても美しい。

 

ただし、いいことも沢山あった。

アカデミック・ライティングの授業が終わるというので、教員と一対一のconsultation(相談)をした。

アカデミック・ライティング・センターのページから開いている時間を予約して、オフィスに伺う。

図書館の前の明るいオフィスで相談をした。

丸いテーブルと椅子にオレンジ色のデスクライト。「ウィーンでの住む場所は決まった?担当教員を考えている?」などと関係のない会話から始まって、自分のライティングについていろいろと意見をくれた。

ライティングは(も)あまり自信がないのだけど、いいところを的確に拾い上げてくれると同時に、納得するような説明の仕方で自分に足りない部分を指摘してくれて、建設的だった。

「ライティングの形式は少し置いといて、もう少しあなた自身の声、あなたが何をどんな論理で考えているのかを文章の中に入れたほうが良い」というアドバイスはとても新鮮に感じられた。

どうしても一対一のconsultationというと、緊張してしまう部分が自分の中にはあるが、このような雰囲気だと何度でもしたい感じ。

クラスメートや他の学生は教員のオフィスアワーにアポイントを取って、どんどん会いに行っている。学部の先生もとても優しい雰囲気で、同じように相談に応じてくれるのだろうか。

日本の教育の中で育った自分は、教員や誰かとの一対一の相談、面接というのは「怒られる」「間違いを指摘される」などネガティブなイメージが強く、自分の中でもそれが内面化されていて自分からはオフィスアワーに訪ねたことはまだない。一人の教員がDoodle(日程調整フォーム)を作って予約を入れるようにメールを送ってくれたので来週には一つ入れてみた。

それにしても、あの、日本の教育の仕方は良くないと思う。相談なんかしたもんなら、やり込められる感じ。潰しておいて、這い上がってなんぼみたいな。本当に良くない。

日本でも研究室によって色々あるのだろうけど、CEUのこの雰囲気の中で自分のプログラムを遂行できるのだと思うと、それだけでも価値があったなと思う。

 

相談といえば、授業の一つに研究とは何かみたいな文献を読みながら、自分の研究について考えて最終的には研究計画書を書くことを目的にするものがあるのだが、大体いつもペアやグループになって相談・意見交換をする。

ある時にはテーマごとにグループになるとのことだったのだが、自分の関心(=環境)に近い学生がいなかったため、PhDの学生TAとペアになった。(ちなみに学生のテーマとしてはメディア、ヘルス、グローバリゼーションなどが多かった)

パレスチナ出身の彼は、パレスチナにおいてイスラエルの植民地支配によって失われたオリーブ農業のエコロジカルなローカル・ノレッジをテーマにしている。自分の研究計画書に書いてあることにも造詣が深く、的確な指摘をくれた。

良い部分をちゃんと言語化して教えてくれる。そしてもちろん否定はしない。「ここが欠けているよね。でも、それはこの授業で学んでいくことだから問題ないよ。」と言ってくれた。こういう優しい方法で指摘されると「自分は憐れまれているのではないか」と変に疑ってしまうのだが、そんなつもりはないのだろう。

「Now, you are in the right place.」(今、君は正しい場所にいる)と言ってくれたことが嬉しかった。

 

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寮からの眺め。秋と排気ガスの匂い。

***

 

今週は授業の数が少ないとはいえ自分の能力と課題を終わらせるための時間が足りないことが明らかになった週だった。

本格的に始まった中で自分の課題を実感するとともに、やっぱり来てよかったと思っている。

 

自分の考えや気持ちを整理するためにも毎週末に一本くらい記事をかければ良いのだけど、どうだろうか。結局金曜Oszkarの中で書き始めたこの記事も翌週の火曜になって終わらせているのだけど。

CEUでの大学院生活がスタート

しばらく更新していなかったが、ハンガリーでの大学院生活がスタートしてたので、これを機にまた時々更新したいと思う。(余裕があれば)

自分の参加するプログラムはハンガリーに本籍を置きながらアメリカの単位制度を利用しているCentral European University(CEU)のSociology and Social Anthropology 2-year MA。日本とは違って修士でも1年のプログラムもあるが、というより1年のほうがメジャーだが、自分は修論までもう少し時間が必要な気がしたことと、卒業後の進路に関して考える時間が欲しかったことなどから2年のプログラムにした。

CEUはハンガリー出身アメリカ在住の大富豪Georgy Soros(ジョージ・ソロス)がリベラルで質の高い教育を提供するために創設した大学院大学

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CEUのBudapestキャンパス。大聖堂からドナウ川に向かう間にある。


QSランキングで世界100位に入ることもある高い質の研究、教育を英語で提供していることに加え、ソロスの財団から充実した奨学金が貰える可能性が高いことから、世界100か国以上から学生が集まる。

自分は奨学金付きの締め切りには間に合わなかったために自費になってしまった。OB/OGの関係の仕事をやることでもらえるAlumni奨学金も制度としてはあるものの、自分の場合は大学からの合格通知が遅かったために、申込することはできなかった。

格通知が遅かったのは、おそらく、合格者の中でも成績が下から数えるほうが早かったからじゃないかと思っている。しかし、入ってしまえば皆同じで、その中でどう頑張って生き残っていくのか、自分にとって充実した研究と時間を過ごしていけるのかということが問題だ。

資金は在学中からでも申込が奨学金を探しつつ、親にお願いしている。実を言うとハンガリー政府奨学金(学費・旅費・生活費・保険料)付きで他の大学のInternational Reationsのプログラム、ハンガリー国立トップで世界ランク300-600位のELTEのCultural Anthropology、International Reationsのプログラムにも受かった(国立は学費が安い)のだが、CEUの学費納入期限が他の大学の合格発表のよりも早かったというプラクティカルな理由に加えて、大学の評価、そして自分の興味関心からCEUを選んだ。

払わなければならない金額以上のベネフィットを受け取れることは想定できたからだ。

 

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図書館からの眺め。ドナウ川が見える。

そして今週から寮に住み、オリエンテーションの週が始まった。感じたことをいくつか書いていく。

-まず驚いたことは学生の出身地の多様性が非常に高いこと。アメリカ、中国、スペイン、インド、バングラデシュパキスタンカザフスタンウズベキスタン、エジプト、モロッコジョージアジョージアジョージア…。ジョージアがめっちゃ多い。今年度入学生で分かってるだけでも20人はいるらしい。ハンガリー出身者もちらほらいる。分かっているだけでは日本人はPhDのプログラムに2人いるのみらしい。

-そして、やはり日本と比べて大学院生の数が多い。Sociologyと一緒になっているため単純な比較はできないものの、自分の出身大学の大学院在籍者はMAとPhD合わせて5人くらいだったのに比べ、CEUのSociology and Social Anthropologyの今年度入学生だけで32人いる。先生とスタッフの数も多い。

-常に雰囲気が賑やかなのと、予算が充実していることが分かる施設、オリエンテーションでも発表者が「Welcome to this wonderful university!」とか平気で言ってしまうほどには誇りを持っていることにとても好感を持った。

-第1週からAcademic Writingの授業はスタートして毎日ちょっとした宿題が出る。その中で自分の英語力の足りなさは痛感する。テンポの速い学生の会話に参加することへの困難さ、Academic Writingの技術をまともに身につけていないことが実感した。ここらへんはクラスメートよりもずっと多く努力しなければならないだろう。

-ただし、一つ絶対的に良いことは、教員やスタッフ、学生が英語を第一言語としていることは稀なのでスタッフは非常に分かりやすく説明する。そしてもちろん誰もが英語での意思疎通をする姿勢を見せている。

-ハンガリーの現オルバン政権がソロスをプロパガンダのためにやり玉に挙げていることから、ウィーンに一部移動しなけばならないために、スタッフもやや混乱している。自分も実は秋学期はウィーンに住み、CEUのウィーン・キャンパスで授業を受ける。部屋探しが終わっていなくて、少しこれは面倒。

 

いくらでも書くことはできるが今回はここまで。

これから始まる授業や色々はやや不安が付きまとうものの、とてもエキサイティングで楽しみだ。

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屋上庭園からの眺め。庭園には「人をダメにするクッション」がある。



飛行機で観た「ブラック・パンサー」と「グリーン・ブック」

7月19日、中部国際空港から飛行機に乗って、成田で乗り換えし、ヘルシンキへ向かう。

9月から始まるブダペストでの修士のプログラムに参加するには早すぎるが、ハンガリーにいるパートナーと夏を過ごそうと約束していた。

中部‐成田、成田‐ヘルシンキ便は運よく、海外出張でたまった父親のマイレージでチケットが取れたため、燃油サーチャージのみでJALに乗れた。

朝10時ごろに成田を出発し、9時間半ほど乗って現地時間14時30分ごろにヘルシンキに到着する。

飛行機が離陸してしばらくは機内アナウンスで映画を見ると中断されることが多いために、このあとのフライトのうちに見るべき映画を物色したあと、持ち込んだ本を読んでいた。

30分ほどしてシートベルト着用サインが消え、ドリンクが配られ始める。

そろそろ本を読むのも疲れたし映画を見るか、と目星を付けていた「ブラック・パンサー」「グリーン・ブック」「ボヘミアン・ラプソディー」を順番に見ていく。

 

 

* * *

 

以前、研究室の先生・先輩・同期などで食事をする機会があり、話題は「人類学的に面白い映画」の話題になった。

授業でも沢山の映画を見る機会があるし、それ以外でも映画を見て考えることは多い。

映画好きの先生は確か「学部生に見せるなら『ブラック・パンサー』とかじゃない?」と言っていたので、前から見たいと思っていたのだが、Amazon Primeに追加されていなかったとかで観ていないかった。

 

 

早速『ブラック・パンサー』を観始める。結論から言うと、めちゃくちゃ面白かった。

Marvelというアメリカン・アクションの大家によって「黒人」のヒーローが描かれることは初めてだし、その「黒人性」あるいは「アフリカ」というイメージがとてもユニークに、そしてとてもカッコいいものとして表現されている。

アフリカンなアクセントの英語が劇中で使われていたこと、アフリカの諸民族をモチーフとした衣装、装飾などとてもクールだ。

なによりも、アフリカという、今でも西洋よりも「進んでいない」ものとして捉えられている世界が、逆転して大きな能力と技術を持っているということ。

全てが新鮮だった。

一方で、例えば「黒人」のヒーローを描くときに、エキゾチックさを完全に排除することは可能なのかという疑問も湧いた。

制作のプロセスにおいてどのように企画・議論を経て、どんな専門家を採用したのかとても興味がわいた。

そう考えると、人類学者とかって、こういう時に引っ張りだこなんじゃないかな。あくまで想像だが。

 

* * *

 

少し休憩をはさんでから「グリーン・ブック」を観た。

 

 1960年代アメリカ、黒人の天才ピアニストが差別が強く残る南部へツアーをするためにイタリア系移民の用心棒兼運転手を雇う話。実話をもとにしているらしい。

アメリカという移民の国、イタリア系もアフリカ系も恵まれない。

ピアニストは白人上流階級を相手にピアノを弾くことで他の黒人たちや移民よりかなり裕福に、しかし孤独に暮らしている。

終盤にイタリア系運転手が黒人ピアニストに向けて「俺はあんたよりも黒人だ!」と言ったのか印象的だった。

黒人とはまさしく、その社会における性格すなわち立場、偏見によって決まっている。運転手とピアニストでは「通常」の「白人vs黒人」の関係性が反転しているのだ。

しかし、一方でピアニストがそれに返答したことも一つの真実かもしれない。

「俺は黒人にもなれないし、白人にもなれない。」

社会的性格によって完全に決まるのであればピアニストは「白人」である。しかし、そうはどうしてもなれない。

 

「黒人性」を反転させたこの二つの映画を自分が「アジア人」としてヨーロッパに向かい飛行機の中で観たことは、その社会で生きていくことの複雑性を示唆しているように思えてならなかった。

 

 

 

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加速し残酷になっていく世界の思想(と人間性への回帰?)

 Twitterなどで話題になっていたので木澤佐登志著『ニック・ランドと新反動主義』を読んでみた。

 本を読んでいて印象に残った部分をかいつまみながら自分の感想をおりまぜて紹介したい。

 

***

 

この本のとにかく「黒い」装丁はその思想の威力とともに、現代に生きる人びとをブラックホールに吸い込むような求心力、そしてその圧迫感のある偏狭さ、そして脆さの全てを表しているような気がする。

 

 ニック・ランドをはじめとする、カオスから生まれた奇形児のような思想=暗黒啓蒙・新反動主義・加速主義を辿ることが本書で目指されていることだ。

 

この世界を覆い尽くす資本主義に対する共産主義が1992年ベルリンの壁崩壊後、オルタナティブとして唱えることができなくなった現在。経済危機や民主主義の危機、環境問題によって崩れていく人間の「豊かな」社会。希望はもはや現在の中ではなく、存在すらしなかったノスタルジックな「過去」やテクノロジーを先鋭化させた「未来」にある。

 

90年代生まれの自分にとっては(恐ろしいことでもあるが)共感しやすい考え方だと思った。

例えばExit(イグジット、脱出)すること。

イギリスのBrexitアメリカのトランプ旋風(アメリカは独立で環境問題にも他国と足並みをそろえることもしない、再びアメリカを偉大に。というような考え方の席巻)でも見られる、現在の状況から脱出する。そしたら何かいいことがあるのではないかという考え方。European Unionや国際的な条約の取り決めは人間の英知の結果であるはずだが、それをもはや信じることはできなくなっている残酷な思想。

 

あるいは、能力がある者はどこにでも好きなところに行けばいい。

PayPalやTransferwiseなどに見られるように、金はもはや国家に信頼を依存する物理的形式をとる必要はなく、国家の枠組みを超えて瞬時に移動ができる。さらに言えばBitcoinなどの乱立する仮想通貨は経済活動に国家の介入する隙を与えない。

エストニアのE-Residencyはどこにいてもエストニアに住んでいることと同じ手続きを可能にする。

どこにいようが、同じような社会的な活動ができる。実際のところは、そこまで同じようにはいかないのだが、むしろ同じようにできるようにすべきであるという考え方には賛成しがちである。

インターネットが一般的になったとき育った世代(たぶん80年代生まれ?~)の大きな特徴は、国家を自分の存在の前提として捉えるのではなく、何か「ややこしい」ものとして捉えることにあるのかもしれないと思った。一方で、前提としないからこそ、あえて帰属を求めるような動きがあるのかもしれない。

ちなみに自分はと言えば、日本に住むことをやめて、ヨーロッパに移り住もうとしている。年金は払わない。日本の政治、経済、社会はこれから良くなるような気がしない。それに「自分が良くしよう」なんて気持ちもあまりない。(全くないと言えば嘘にもなるが)

個人性とテクノロジーを加速させていく。社会を穿った姿勢で捉え、ぬるりと避ける。

 

テクノロジーに希望があるわけではない。

それは戦後のSFに描かれるような技術信奉ではなく、なんでもできる未来への希望ではなく、突き進む技術への達観。

技術が人間の主体に従属して活躍するのではく、機械と人間の区別が明確にはなくなるようなハラウェイ的なサイボーグ。

Wiredのいくつかの記事にもこれに共鳴するようなものがいくつかある。

wired.jp

wired.jp

 

この「ダーク」な思想はアクロバティックでスリリングでありながらも、僕を憂鬱にさせた。

 

人文社会科学を専攻する自分は、この社会や人間の色々な側面を見たいと思うし、そこには「暗黒啓蒙」に回収できない微細な人間の生の現実があると信じている。

 

技術と未来に希望はあるのか。社会と人間には可能性があるのか。

「暗黒啓蒙」と同じような未来観測をしたうえで、あえて人間性(Humanity)、人間の想像力を積極的に肯定しようという活動はDouglas RushkoffのTeam Humanに見られるかもしれない。

teamhuman.fm


How to be "Team Human" in the digital future | Douglas Rushkoff

デジタルな世界が進行していったとき、カタストロフィが起きたときを考えるときに我々は悲観的になることをやめ、人間性を取り戻し、創造していこうという積極的なメッセージ。

もし自分が選ぶとしたらこちら側だろうし、そうありたい。

図書館移動アルバイトのエスノグラフィー(?) [2]

乗せられたバンの中で、なぜ若い二人だけが選ばれたのかを社員らしき人が笑いながら伝えた。

「いやさあ、本を並べるんだけど、数字とアルファベット順に並べないといけないから、若い人のほうがいいかなと思ってさ。他のおじさんたちは、酒飲むことしか考えてないみたいだったから(笑)」

 

持ち場に到着すると、乗ってきたバンからプラスチック製のシートを取り出して床と壁、エレベーターを養生テープで保護していく。

 

真新しい大学内の建物。自分が通っていた大学と同じような設備を持つが、なぜかその時はとてもよそよそしく感じた。

 

ちょうど養生が終わったころに、最初の場所からトラックで段ボール箱が運ばれてきた。

6つくらいずつに台車に乗せられて、ラップのようなもので巻かれている。「持ち物」として派遣会社から送られてきたメールに記載されていたカッターナイフを取り出して、そのラップを切る。

段ボールに貼られた、位置を示すシールにしたがって指定の本棚の目の前、ではなく隣の本棚の前に置いてく。目の前に段ボール箱を置いてしまうと、取り出した本を本棚にしまうときに、箱がつかえてしまうからだ。

 

段ボール箱に貼られたシールを本棚の隅に貼ってから(そうすると間違えたときに、やり直しがきく)、中の本を取り出して本棚にしまっていく。

 

僕は本を並べるのが好きだ。自分の家の本棚もたまに自分の好きな順番に並べ直したりする。作者順、出版社順、すでに読んだもの、まだ読んでないもの…。

だから、この仕事は悪くないなと思った。

 

その図書室は情報系の分野が所有するものだったことから、コンピュータサイエンスや、データサイエンスの系統の本が多かった。

自分の専攻の分野とは違うけれど、結構面白そうなだな、そう思いながら、本を並べていく。自分が図書館にいるときには、興味をもった本はパラパラとめくりながら本棚を探っているのだが、今回は仕事。「お客さんの物」として、丁寧にそして迅速に並べるだけの「物」として扱う。

しばらく並べることを続けていくと、分野がずれてきた。ボブ・ディラン作品集や社会科学のものが増えてきたのだ。これらが情報系の分野とどんな関係があるのだろうと考えを巡らせながら、そして、教員の趣味が表れていて面白いと思いながら並べ続けた。

すると、以前授業で読むために買った『フィールドワークへの挑戦』(菅原和孝編)があった。それはまるで、昔の友人といつも会うのとは全く別の場所で会ったときのような気持だった。そして、こっちも向こうもそれぞれの恋人や友人といるために、挨拶もままならぬままにさよならを言わないといけない、そんな気持ちだった。

 

本を並べていく。箱を開けるたびに色んな本が入っているのが楽しい。

場所を移動していくと箱が重くなった。雑誌や紀要のコーナーに入ったのだ。

専門誌、大学の名前が入った紀要は、そのほとんどが、再び製本されている。デザインが秀逸な雑誌もあったが、年号ごとに製本されてしまえば、とたんに詰まらない、発行年と号数だけが表された濃青や濃緑の表紙になってしまう。

一つの論文がいくつか集まって論文集、あるいは雑誌になる。雑誌は再び製本される。

それぞれの異なる著者、様々なテーマは集積され、まとめられる。その中にしまわれた論文は手に取られることはどのくらいあるのだろうか。

いや、一体この図書館の中の本のうちの、読まれる割合はどのくらいなのだろう。

 

例えば、一つの論文、一冊の学術書がなかったところでどれだけ研究は、そして世界はどれだけ変わるというのだろう。よほどエポックメイキングなものではない限り、変わらないのかもしれない。

 

しかし、知識とはまさに集積したものをいうのであって、一つ一つの論文や学術書のことをいうのではない。知識とは製本された雑誌、そしてこの図書室全体、もっと言えば世界中にある図書館、データベースのことをいうのだ。

 

そんなことを考えながら、重くて、埃をかぶった本を並べていた。

隣で同じ作業をしている運送会社の社員は何を考えながら本を並べているのだろうか。

 

そうこうしているうちに、休憩時間になった。

 

大学の小さな生協に昼食を買いに行く。運送会社の制服を着ているために、学生だらけの周囲とはなじまない。並べてある弁当の中で最もカロリーの高そうなものを選ぶ。チキン南蛮弁当。冷えてボロボロになったご飯にはゴマが散りばめられていて、衣ばかりついた薄い鶏肉のから揚げ、その下にはケチャップ味のふやけたスパゲティ。もうしわけ程度に二枚だけ添えられたピンク色の漬物とゆるいポテトサラダ。

最近はトレーニングをしているのもあって、糖質を制限していたが、このときの弁当は糖質ばかりだ。

糖質万歳。労働者にはエネルギーが必要なのだ。

 

社員に「昼食はそこで食べるように」と指定された場所で日陰を見つけて弁当を開ける。別の持ち場で仕事をしていた他の派遣の人たちも合流した。

「○○(大手運送会社)の制服着てると、目立つところにいるとダメらしいんだ。めんどくせえよな。」この派遣で何度も働いているという日雇い風の男性(ここでは「鈴木さん」(仮)と呼ぶ)が教えてくれた。

 

初夏、晴れたキャンパスの片隅。学生や留学生もあまり来ないような建物の間の広場で我々は各々、買うなり家から持ってくるなりした昼食を広げ、食べ始めた。

 

共通の話題である時給から会話が始まった。鈴木さんは「時給が1150円で6時間、交通費は出ないから大した額じゃねえよな。」

 

もう一人のおじさんである安藤さん(仮名、郵便局員の面接を受けている)は相槌を打つ。

 

安藤さんは「外国人が増えてきて、もうすぐ我々の仕事も奪われてしまうらしいよ。中国とか韓国とかベトナムとか。」

 

僕は彼の「我々」という言葉に違和感を覚えた。自分も彼のいう「我々」に入っているのか。僕はただ一回きりの派遣をしているだけなのに。(実際、その派遣会社で働いたのはその日一度きりだった。)

「我々の仕事」とは誰のどのような仕事なのだろうか。安藤さんにとっては派遣の日雇いを続ける人びとの仕事なのだろうか。

大学を卒業して、これから海外の大学院に進学し、ヨーロッパで働くつもりである自分にとっては安藤さんのいう「我々」には入らないし、「仕事」といったときに想定するものに大きな隔たりがあると思った。

 

そんなことを考えていると、安藤さんの発言に対して鈴木さんは返答した。

「今じゃあ、中国も韓国も日本には来ないっすよ。韓国のほうが時給高いから。」

確かに自分もニュースで韓国の時給が引き上げられたことを見た。

 

安藤さんは「韓国は最低賃金引き上げで、経済が成り立たなくなった。だから韓国は馬鹿なんだ。」と言った。

 

場の雰囲気が少し強張る。安藤さんも、中年男性に多くいる、会話の間に軽いヘイトを忍ばせてくるタイプの人だったか、と僕は少しがっかりした。

こういう時に、自分はいつも考える。一体どのような反応をすればよいのか。相槌を打ってしまうとその発言を認めてしまうし、ヘイトが助長されてしまう可能性がある。かといって、「それは違う」とわざわざ口にして場を荒立てるのも面倒くさい。

 

結局ニヒルな笑いのようなものを浮かべていた。

他の人がこのヘイトに参加しなければいいなと思っていた。

 

すると鈴木さんが即座に応答した。

俺の嫁は韓国人だからよお。」

 

場の雰囲気が張り詰める。喧嘩になるのではないか、と。

 

安藤さんは即座に「ごめん、ごめん、韓国『政府』が悪いんだ」と言い直す。

 

そのあと会話は別の話題になり、多くの人は昼食を食べ終わった。

 

まだ午後の仕事までしばらく時間があったので、その場を離れたいこともあり、煙草を吸う場所を知らないかと他の人に聞いてみる。

「俺も吸いたいわ」と鈴木さんも立ちあがる。

もう一人の同僚、派遣会社のまとめ役だった男性(髪型と体型が北朝鮮金正恩に似ていることから「キム」と周りの人から呼ばれていた)も昼食のゴミを捨てるために同行した。

 

最近の大学キャンパスでは喫煙所がどんどん廃止されていて、大学によっては全面禁煙になっていたりして、煙草を吸う場所を見つけることは非常に難しくなっている。

 

自分を含めた三人(自分、鈴木さん、「キム」さん)はボロボロの運送会社の制服を着て、おしゃれをした初々しい大学生の間を歩く。僕は自分も少し前までは大学生の側だったのにな、と思っている。大学生にとって我々はただの作業員だっただろう。大学生たちは自らが作業員になるとは思っていないだろう。僕も自分の大学で作業員の方々を見た時にはそう思っていた。若い人がその中にいたとしても、もっと若い時から作業員として働いている人だと勝手に思っていた。

 

そんなことはない。アルバイトでも何でも、作業員として働く機会はいくらでもある。そう考えると何だか可笑しくて、自分が変装しているような気分になった。

 

ところで喫煙所はいくら探しても見つからない。鈴木さんは、一人で歩いていって、授業終わりだろう、キャンパス内を3人で歩いている大学生たちに話しかけた。大学生たちは少し驚いた表情を見せながらも、「分からない、でもすぐそこが敷地の端っこだから、そこを出たら多分吸ってもいい」と教えてくれた。

 

「キム」さんは「俺は吸わないから戻りますわ」と言って、昼食の場所に戻っていった。

鈴木さんと僕の二人は先ほど教えてくれた場所に行って、煙草を取り出して、火をつける。

 

鈴木さんは話し始める。「さっき嫁が韓国人っていったけど、たかが結婚するのでもすっげえ面倒くせえぞ。まず書類を役所に出してから審査するんだ。そしたら日本側が俺の収入やら住所やらをチェックして、韓国側に送るんだ。そしたら嫁の審査を韓国側がして・・・。審査待ちの時は許可が下りないからよ、嫁は一回韓国に帰ったんだ。そんでずっと待って、ようやく結婚できたんだ。ほら、結婚詐欺とかも多いからあいつら疑ってるんだよ。韓国なんかさ、広島のほう行けば見えるくらい近いんだぞ。それなのに国が違うっていうだけですっげえ面倒くせえぞ。」

 

生活を共にしたい二人の国籍が違うだけで色々な面倒が起きる。鈴木さんの妻も日本語を流暢にしゃべるだろうし、見た目では日本人と区別つかないかもしれない。お互い色々な経験をして恋をし、生活を共にするために結婚をする。いつだって人を分断するのは国家だ。

 

人間は異なる国に生まれるのではない。生まれた人間を国がわけ隔てるのだ。

 

僕もヨーロッパ人の彼女がいるから自分の将来について考えた。きっと手続きは面倒だろう。だからといってそれが二人の関係にとってそこまで重要なわけではない。

 

鈴木さんに、自分も外国人の彼女がいて、これからその国にある大学院に行くことを話すと、ビザなどの手続きに関心があるらしく色々と聞いてきたので僕もわかる範囲で答えた。

 

僕の場合は学生での在留許可をしてから、仕事を見つけたら、労働ビザに切り替えるということになる。

「結婚しちゃえば多分むこうの国籍取れるだろうし、多少手続きは簡単になるとは思いますけどね」と僕は冗談交じりで話す。

 

鈴木さんとの会話は文化の違いに移行した。

「君もその彼女とどのくらい?1年くらいか。なら分かると思うけど、普段は普通にしてるのに、急にあれ?っていう時ない?突然怒り出したりさ。なんでキレてんの?って」と鈴木さん。

「そういう時もありますよね。」と僕。

 

鈴木さん「文化の違いっていうことだとさ、俺が仕事に行くときに嫁は弁当持たせてくれるんだけど、家に帰ったら『みんなどう言ってた?』って聞くわけよ俺に。どうっていっても、俺は一人で食べてるから、そんなん分かんねえよな。どうやら向こうでは職場の人間で持ち寄って、シェアして食べるらしいんだよな。おもしれえよな。」

 

「あとさ、俺、昔、インド人の女と付き合ってたことあるんだけどさ、インド人のカレーっていうのは味噌汁だな。味噌汁。しゃびしゃびしててさ。」

 

自分もインドに行ってカレーを食べたことがあるが、確かに日本のカレーよりも汁っぽくて、色々な具材を入れてスパイスで仕上げたスープのようなものが多い。

しかし、自分にはインドのカレーを味噌汁だと言い切るほどの器量はない。

 

鈴木さんは自らの身をもって体験した「国際交流」を自らの考え方と、自らの言語によって捉えているのだ。

それは、大学の国際交流系の授業や文化基金で企画されるようなイベントとは全く異なるものだ。

 

そうこうしているうちに午後の仕事の時間になった。午前からの作業の続き。本の入った段ボールを開け、並べていく。すべて並べ終われば、チェックと整頓をして、養生をはがす。

そこにはもう、以前からあったような図書室が完成されていた。一体この図書室を使う人のどれくらいが、僕らがやったような仕事によって図書室が成り立つことになったのか考えるのだろうか。

帰り際に、隣の部屋にいた優しそうな司書さんらしき人がお礼を言ってくれた。

こちらも頭を下げ、午後の強くなった日差しのもとに出る。

 

埃で真っ黒になった手とからからに乾いた喉。

 

大学の敷地内に自動販売機が置かれていたので、見に行く。

過冷却が謳い文句の三ツ矢サイダーが売られていたので試しに買ってみる。

結露したペットボトルの中のサイダーは衝撃を受けて、柔らかな氷の結晶を形づくる。

僕はその結晶を綺麗だと思いながら、2口で飲み干す。水分と糖分―それはまさしく僕の身体が求めていたもの―を炭酸の力で喉に運ぶ。沁みわたる爽快感。夏の始まりに流れる三ツ矢サイダーのコマーシャルみたいだと思った。

 

そのあと、勤怠表という小さな複写式の紙に、運送会社の社員からのサインをもらって(この紙をのちにFAXで送って初めて給料が貰える)、屋外で汗を吸った作業着から私服に着替えた。

 

お疲れ様でした、の挨拶をしてから各自帰路についた。