Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。

EASA2018に参加して

ちょうど2018/08/14~17にストックホルム大学でヨーロッパ社会人類学会(EASA: European Associasion of Social Anthroologist)の大会があり、同じ研究室のPhDの学生が研究出張も兼ねて日本から来るとのことで参加してみた。

日本の文化人類学会にも参加したことないのにいきなりEASAかよ、という感じもしたが、勉強にもなるだろうし国際学会の雰囲気を知る上でも良いかなと思って。

www.easaonline.org

今回のテーマはStaying, Moving, Settlingで、PlenaryやKeynote、Panel Sessionは移動にまつわる話が多かった。自分の興味も近いと言えば近い。

Keynoteストックホルム大学Sharam Khosravi氏のWalling, Unsettling, Stealingは自分が経験したストーリーから始まって、帝国が壁を作ること、それに伴って誰かを排除すること、排除された「他者」はFabianなどがいうように常に「遅れた」時間を生きており、国境での審査に時間がかかるようにいつも時間を「盗まれている」…。というような内容でとても面白かった。

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PlenaryやKeynoteが行われた大ホール。とても綺麗。

実際的な意味で痛感したのは自分の英語力の足りなさ。大半が非ネイティブで、ややクセのある専門的な英語を早口で話すとどのくらい理解できたのか分からない。まあみんな相互に理解しているように見えたから非ネイティブの英語とかは関係なくて、ただ自分の英語力が足りないだけなんだけど。これは課題。大学院では英語で授業を受けるためとにかく勉強するしかない。

 

それを差し置いても、話の内容は大体分かって面白く聞けるものもあった。

個別発表のPanel Sessionでは自分の卒論のための研究に完全に合致するテーマはないので自分の興味のある分野(技術、感情、マルクス生誕200年記念、マルチスピーシーズなどなど)を中心に聞きに行った。(というか人類学では完全に合致するテーマの研究者などいないし、そんな研究をやってもいけないのだが。)

例えば、David Anderson氏の研究は、先住民の動物に関するコスモロジーを特別視する傾向を批判して、西洋の考古学の研究でも「想像」が重要な役割を担っているということを明らかにするもので、切れ味がよく面白かった。

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自分としてやっぱり人類学が面白いなと感じたのは、現実を解体するような切れ味と、視点を反転させるようなラディカルさだなと。

それに関連して、これからの「民族」なき時代にどう人類学をやっていくのかというのは、人やものに注目する視点と、それを関連させる比喩の方法だったりするのだと思う。

これは浜田さんの草稿でも言われていること。

www.academia.edu

例えば、ITの革新について発表していた人の以前のテーマはジャズのアドリブだったという。一見つながっていない様に見えるこの二つのことは、不安定な異物を未来に投影させる方法とその実践という点でつながっている。

静脈の認証による移動の規制の話の最後のスライドには、静脈の網目模様と有刺鉄線の画像が並べられていた。

これはあまりやり過ぎると連想ゲームみたいになってしまうのだけど、そのくらい思考を柔軟にさせなければいけないし、それはなぜ人類学者が「他者」について書くのかという難問に関する答えでもある。人類学者のその思考が人やものを比喩でつなげて、静態的に見える現実の中で見えなかったものを明らかにし、動態的なダイナミクスを見ていく。

だから地域や民族を想定しないでも人類学はできる。(一方で同時にプラクティカルな面で場所性(ラポールや参照文献、言語…)が調査において重要なのは肝に銘じなけれならないが)

修士のテーマを考えるうえでも今後の参考になる学会だった。

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コーヒーブレイクの様子。各々が知り合いの研究者に挨拶したり、発表の議論の続きをやっていた。