Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。

飛行機で観た「ブラック・パンサー」と「グリーン・ブック」

7月19日、中部国際空港から飛行機に乗って、成田で乗り換えし、ヘルシンキへ向かう。

9月から始まるブダペストでの修士のプログラムに参加するには早すぎるが、ハンガリーにいるパートナーと夏を過ごそうと約束していた。

中部‐成田、成田‐ヘルシンキ便は運よく、海外出張でたまった父親のマイレージでチケットが取れたため、燃油サーチャージのみでJALに乗れた。

朝10時ごろに成田を出発し、9時間半ほど乗って現地時間14時30分ごろにヘルシンキに到着する。

飛行機が離陸してしばらくは機内アナウンスで映画を見ると中断されることが多いために、このあとのフライトのうちに見るべき映画を物色したあと、持ち込んだ本を読んでいた。

30分ほどしてシートベルト着用サインが消え、ドリンクが配られ始める。

そろそろ本を読むのも疲れたし映画を見るか、と目星を付けていた「ブラック・パンサー」「グリーン・ブック」「ボヘミアン・ラプソディー」を順番に見ていく。

 

 

* * *

 

以前、研究室の先生・先輩・同期などで食事をする機会があり、話題は「人類学的に面白い映画」の話題になった。

授業でも沢山の映画を見る機会があるし、それ以外でも映画を見て考えることは多い。

映画好きの先生は確か「学部生に見せるなら『ブラック・パンサー』とかじゃない?」と言っていたので、前から見たいと思っていたのだが、Amazon Primeに追加されていなかったとかで観ていないかった。

 

 

早速『ブラック・パンサー』を観始める。結論から言うと、めちゃくちゃ面白かった。

Marvelというアメリカン・アクションの大家によって「黒人」のヒーローが描かれることは初めてだし、その「黒人性」あるいは「アフリカ」というイメージがとてもユニークに、そしてとてもカッコいいものとして表現されている。

アフリカンなアクセントの英語が劇中で使われていたこと、アフリカの諸民族をモチーフとした衣装、装飾などとてもクールだ。

なによりも、アフリカという、今でも西洋よりも「進んでいない」ものとして捉えられている世界が、逆転して大きな能力と技術を持っているということ。

全てが新鮮だった。

一方で、例えば「黒人」のヒーローを描くときに、エキゾチックさを完全に排除することは可能なのかという疑問も湧いた。

制作のプロセスにおいてどのように企画・議論を経て、どんな専門家を採用したのかとても興味がわいた。

そう考えると、人類学者とかって、こういう時に引っ張りだこなんじゃないかな。あくまで想像だが。

 

* * *

 

少し休憩をはさんでから「グリーン・ブック」を観た。

 

 1960年代アメリカ、黒人の天才ピアニストが差別が強く残る南部へツアーをするためにイタリア系移民の用心棒兼運転手を雇う話。実話をもとにしているらしい。

アメリカという移民の国、イタリア系もアフリカ系も恵まれない。

ピアニストは白人上流階級を相手にピアノを弾くことで他の黒人たちや移民よりかなり裕福に、しかし孤独に暮らしている。

終盤にイタリア系運転手が黒人ピアニストに向けて「俺はあんたよりも黒人だ!」と言ったのか印象的だった。

黒人とはまさしく、その社会における性格すなわち立場、偏見によって決まっている。運転手とピアニストでは「通常」の「白人vs黒人」の関係性が反転しているのだ。

しかし、一方でピアニストがそれに返答したことも一つの真実かもしれない。

「俺は黒人にもなれないし、白人にもなれない。」

社会的性格によって完全に決まるのであればピアニストは「白人」である。しかし、そうはどうしてもなれない。

 

「黒人性」を反転させたこの二つの映画を自分が「アジア人」としてヨーロッパに向かい飛行機の中で観たことは、その社会で生きていくことの複雑性を示唆しているように思えてならなかった。

 

 

 

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加速し残酷になっていく世界の思想(と人間性への回帰?)

 Twitterなどで話題になっていたので木澤佐登志著『ニック・ランドと新反動主義』を読んでみた。

 本を読んでいて印象に残った部分をかいつまみながら自分の感想をおりまぜて紹介したい。

 

***

 

この本のとにかく「黒い」装丁はその思想の威力とともに、現代に生きる人びとをブラックホールに吸い込むような求心力、そしてその圧迫感のある偏狭さ、そして脆さの全てを表しているような気がする。

 

 ニック・ランドをはじめとする、カオスから生まれた奇形児のような思想=暗黒啓蒙・新反動主義・加速主義を辿ることが本書で目指されていることだ。

 

この世界を覆い尽くす資本主義に対する共産主義が1992年ベルリンの壁崩壊後、オルタナティブとして唱えることができなくなった現在。経済危機や民主主義の危機、環境問題によって崩れていく人間の「豊かな」社会。希望はもはや現在の中ではなく、存在すらしなかったノスタルジックな「過去」やテクノロジーを先鋭化させた「未来」にある。

 

90年代生まれの自分にとっては(恐ろしいことでもあるが)共感しやすい考え方だと思った。

例えばExit(イグジット、脱出)すること。

イギリスのBrexitアメリカのトランプ旋風(アメリカは独立で環境問題にも他国と足並みをそろえることもしない、再びアメリカを偉大に。というような考え方の席巻)でも見られる、現在の状況から脱出する。そしたら何かいいことがあるのではないかという考え方。European Unionや国際的な条約の取り決めは人間の英知の結果であるはずだが、それをもはや信じることはできなくなっている残酷な思想。

 

あるいは、能力がある者はどこにでも好きなところに行けばいい。

PayPalやTransferwiseなどに見られるように、金はもはや国家に信頼を依存する物理的形式をとる必要はなく、国家の枠組みを超えて瞬時に移動ができる。さらに言えばBitcoinなどの乱立する仮想通貨は経済活動に国家の介入する隙を与えない。

エストニアのE-Residencyはどこにいてもエストニアに住んでいることと同じ手続きを可能にする。

どこにいようが、同じような社会的な活動ができる。実際のところは、そこまで同じようにはいかないのだが、むしろ同じようにできるようにすべきであるという考え方には賛成しがちである。

インターネットが一般的になったとき育った世代(たぶん80年代生まれ?~)の大きな特徴は、国家を自分の存在の前提として捉えるのではなく、何か「ややこしい」ものとして捉えることにあるのかもしれないと思った。一方で、前提としないからこそ、あえて帰属を求めるような動きがあるのかもしれない。

ちなみに自分はと言えば、日本に住むことをやめて、ヨーロッパに移り住もうとしている。年金は払わない。日本の政治、経済、社会はこれから良くなるような気がしない。それに「自分が良くしよう」なんて気持ちもあまりない。(全くないと言えば嘘にもなるが)

個人性とテクノロジーを加速させていく。社会を穿った姿勢で捉え、ぬるりと避ける。

 

テクノロジーに希望があるわけではない。

それは戦後のSFに描かれるような技術信奉ではなく、なんでもできる未来への希望ではなく、突き進む技術への達観。

技術が人間の主体に従属して活躍するのではく、機械と人間の区別が明確にはなくなるようなハラウェイ的なサイボーグ。

Wiredのいくつかの記事にもこれに共鳴するようなものがいくつかある。

wired.jp

wired.jp

 

この「ダーク」な思想はアクロバティックでスリリングでありながらも、僕を憂鬱にさせた。

 

人文社会科学を専攻する自分は、この社会や人間の色々な側面を見たいと思うし、そこには「暗黒啓蒙」に回収できない微細な人間の生の現実があると信じている。

 

技術と未来に希望はあるのか。社会と人間には可能性があるのか。

「暗黒啓蒙」と同じような未来観測をしたうえで、あえて人間性(Humanity)、人間の想像力を積極的に肯定しようという活動はDouglas RushkoffのTeam Humanに見られるかもしれない。

teamhuman.fm


How to be "Team Human" in the digital future | Douglas Rushkoff

デジタルな世界が進行していったとき、カタストロフィが起きたときを考えるときに我々は悲観的になることをやめ、人間性を取り戻し、創造していこうという積極的なメッセージ。

もし自分が選ぶとしたらこちら側だろうし、そうありたい。

図書館移動アルバイトのエスノグラフィー(?) [2]

乗せられたバンの中で、なぜ若い二人だけが選ばれたのかを社員らしき人が笑いながら伝えた。

「いやさあ、本を並べるんだけど、数字とアルファベット順に並べないといけないから、若い人のほうがいいかなと思ってさ。他のおじさんたちは、酒飲むことしか考えてないみたいだったから(笑)」

 

持ち場に到着すると、乗ってきたバンからプラスチック製のシートを取り出して床と壁、エレベーターを養生テープで保護していく。

 

真新しい大学内の建物。自分が通っていた大学と同じような設備を持つが、なぜかその時はとてもよそよそしく感じた。

 

ちょうど養生が終わったころに、最初の場所からトラックで段ボール箱が運ばれてきた。

6つくらいずつに台車に乗せられて、ラップのようなもので巻かれている。「持ち物」として派遣会社から送られてきたメールに記載されていたカッターナイフを取り出して、そのラップを切る。

段ボールに貼られた、位置を示すシールにしたがって指定の本棚の目の前、ではなく隣の本棚の前に置いてく。目の前に段ボール箱を置いてしまうと、取り出した本を本棚にしまうときに、箱がつかえてしまうからだ。

 

段ボール箱に貼られたシールを本棚の隅に貼ってから(そうすると間違えたときに、やり直しがきく)、中の本を取り出して本棚にしまっていく。

 

僕は本を並べるのが好きだ。自分の家の本棚もたまに自分の好きな順番に並べ直したりする。作者順、出版社順、すでに読んだもの、まだ読んでないもの…。

だから、この仕事は悪くないなと思った。

 

その図書室は情報系の分野が所有するものだったことから、コンピュータサイエンスや、データサイエンスの系統の本が多かった。

自分の専攻の分野とは違うけれど、結構面白そうなだな、そう思いながら、本を並べていく。自分が図書館にいるときには、興味をもった本はパラパラとめくりながら本棚を探っているのだが、今回は仕事。「お客さんの物」として、丁寧にそして迅速に並べるだけの「物」として扱う。

しばらく並べることを続けていくと、分野がずれてきた。ボブ・ディラン作品集や社会科学のものが増えてきたのだ。これらが情報系の分野とどんな関係があるのだろうと考えを巡らせながら、そして、教員の趣味が表れていて面白いと思いながら並べ続けた。

すると、以前授業で読むために買った『フィールドワークへの挑戦』(菅原和孝編)があった。それはまるで、昔の友人といつも会うのとは全く別の場所で会ったときのような気持だった。そして、こっちも向こうもそれぞれの恋人や友人といるために、挨拶もままならぬままにさよならを言わないといけない、そんな気持ちだった。

 

本を並べていく。箱を開けるたびに色んな本が入っているのが楽しい。

場所を移動していくと箱が重くなった。雑誌や紀要のコーナーに入ったのだ。

専門誌、大学の名前が入った紀要は、そのほとんどが、再び製本されている。デザインが秀逸な雑誌もあったが、年号ごとに製本されてしまえば、とたんに詰まらない、発行年と号数だけが表された濃青や濃緑の表紙になってしまう。

一つの論文がいくつか集まって論文集、あるいは雑誌になる。雑誌は再び製本される。

それぞれの異なる著者、様々なテーマは集積され、まとめられる。その中にしまわれた論文は手に取られることはどのくらいあるのだろうか。

いや、一体この図書館の中の本のうちの、読まれる割合はどのくらいなのだろう。

 

例えば、一つの論文、一冊の学術書がなかったところでどれだけ研究は、そして世界はどれだけ変わるというのだろう。よほどエポックメイキングなものではない限り、変わらないのかもしれない。

 

しかし、知識とはまさに集積したものをいうのであって、一つ一つの論文や学術書のことをいうのではない。知識とは製本された雑誌、そしてこの図書室全体、もっと言えば世界中にある図書館、データベースのことをいうのだ。

 

そんなことを考えながら、重くて、埃をかぶった本を並べていた。

隣で同じ作業をしている運送会社の社員は何を考えながら本を並べているのだろうか。

 

そうこうしているうちに、休憩時間になった。

 

大学の小さな生協に昼食を買いに行く。運送会社の制服を着ているために、学生だらけの周囲とはなじまない。並べてある弁当の中で最もカロリーの高そうなものを選ぶ。チキン南蛮弁当。冷えてボロボロになったご飯にはゴマが散りばめられていて、衣ばかりついた薄い鶏肉のから揚げ、その下にはケチャップ味のふやけたスパゲティ。もうしわけ程度に二枚だけ添えられたピンク色の漬物とゆるいポテトサラダ。

最近はトレーニングをしているのもあって、糖質を制限していたが、このときの弁当は糖質ばかりだ。

糖質万歳。労働者にはエネルギーが必要なのだ。

 

社員に「昼食はそこで食べるように」と指定された場所で日陰を見つけて弁当を開ける。別の持ち場で仕事をしていた他の派遣の人たちも合流した。

「○○(大手運送会社)の制服着てると、目立つところにいるとダメらしいんだ。めんどくせえよな。」この派遣で何度も働いているという日雇い風の男性(ここでは「鈴木さん」(仮)と呼ぶ)が教えてくれた。

 

初夏、晴れたキャンパスの片隅。学生や留学生もあまり来ないような建物の間の広場で我々は各々、買うなり家から持ってくるなりした昼食を広げ、食べ始めた。

 

共通の話題である時給から会話が始まった。鈴木さんは「時給が1150円で6時間、交通費は出ないから大した額じゃねえよな。」

 

もう一人のおじさんである安藤さん(仮名、郵便局員の面接を受けている)は相槌を打つ。

 

安藤さんは「外国人が増えてきて、もうすぐ我々の仕事も奪われてしまうらしいよ。中国とか韓国とかベトナムとか。」

 

僕は彼の「我々」という言葉に違和感を覚えた。自分も彼のいう「我々」に入っているのか。僕はただ一回きりの派遣をしているだけなのに。(実際、その派遣会社で働いたのはその日一度きりだった。)

「我々の仕事」とは誰のどのような仕事なのだろうか。安藤さんにとっては派遣の日雇いを続ける人びとの仕事なのだろうか。

大学を卒業して、これから海外の大学院に進学し、ヨーロッパで働くつもりである自分にとっては安藤さんのいう「我々」には入らないし、「仕事」といったときに想定するものに大きな隔たりがあると思った。

 

そんなことを考えていると、安藤さんの発言に対して鈴木さんは返答した。

「今じゃあ、中国も韓国も日本には来ないっすよ。韓国のほうが時給高いから。」

確かに自分もニュースで韓国の時給が引き上げられたことを見た。

 

安藤さんは「韓国は最低賃金引き上げで、経済が成り立たなくなった。だから韓国は馬鹿なんだ。」と言った。

 

場の雰囲気が少し強張る。安藤さんも、中年男性に多くいる、会話の間に軽いヘイトを忍ばせてくるタイプの人だったか、と僕は少しがっかりした。

こういう時に、自分はいつも考える。一体どのような反応をすればよいのか。相槌を打ってしまうとその発言を認めてしまうし、ヘイトが助長されてしまう可能性がある。かといって、「それは違う」とわざわざ口にして場を荒立てるのも面倒くさい。

 

結局ニヒルな笑いのようなものを浮かべていた。

他の人がこのヘイトに参加しなければいいなと思っていた。

 

すると鈴木さんが即座に応答した。

俺の嫁は韓国人だからよお。」

 

場の雰囲気が張り詰める。喧嘩になるのではないか、と。

 

安藤さんは即座に「ごめん、ごめん、韓国『政府』が悪いんだ」と言い直す。

 

そのあと会話は別の話題になり、多くの人は昼食を食べ終わった。

 

まだ午後の仕事までしばらく時間があったので、その場を離れたいこともあり、煙草を吸う場所を知らないかと他の人に聞いてみる。

「俺も吸いたいわ」と鈴木さんも立ちあがる。

もう一人の同僚、派遣会社のまとめ役だった男性(髪型と体型が北朝鮮金正恩に似ていることから「キム」と周りの人から呼ばれていた)も昼食のゴミを捨てるために同行した。

 

最近の大学キャンパスでは喫煙所がどんどん廃止されていて、大学によっては全面禁煙になっていたりして、煙草を吸う場所を見つけることは非常に難しくなっている。

 

自分を含めた三人(自分、鈴木さん、「キム」さん)はボロボロの運送会社の制服を着て、おしゃれをした初々しい大学生の間を歩く。僕は自分も少し前までは大学生の側だったのにな、と思っている。大学生にとって我々はただの作業員だっただろう。大学生たちは自らが作業員になるとは思っていないだろう。僕も自分の大学で作業員の方々を見た時にはそう思っていた。若い人がその中にいたとしても、もっと若い時から作業員として働いている人だと勝手に思っていた。

 

そんなことはない。アルバイトでも何でも、作業員として働く機会はいくらでもある。そう考えると何だか可笑しくて、自分が変装しているような気分になった。

 

ところで喫煙所はいくら探しても見つからない。鈴木さんは、一人で歩いていって、授業終わりだろう、キャンパス内を3人で歩いている大学生たちに話しかけた。大学生たちは少し驚いた表情を見せながらも、「分からない、でもすぐそこが敷地の端っこだから、そこを出たら多分吸ってもいい」と教えてくれた。

 

「キム」さんは「俺は吸わないから戻りますわ」と言って、昼食の場所に戻っていった。

鈴木さんと僕の二人は先ほど教えてくれた場所に行って、煙草を取り出して、火をつける。

 

鈴木さんは話し始める。「さっき嫁が韓国人っていったけど、たかが結婚するのでもすっげえ面倒くせえぞ。まず書類を役所に出してから審査するんだ。そしたら日本側が俺の収入やら住所やらをチェックして、韓国側に送るんだ。そしたら嫁の審査を韓国側がして・・・。審査待ちの時は許可が下りないからよ、嫁は一回韓国に帰ったんだ。そんでずっと待って、ようやく結婚できたんだ。ほら、結婚詐欺とかも多いからあいつら疑ってるんだよ。韓国なんかさ、広島のほう行けば見えるくらい近いんだぞ。それなのに国が違うっていうだけですっげえ面倒くせえぞ。」

 

生活を共にしたい二人の国籍が違うだけで色々な面倒が起きる。鈴木さんの妻も日本語を流暢にしゃべるだろうし、見た目では日本人と区別つかないかもしれない。お互い色々な経験をして恋をし、生活を共にするために結婚をする。いつだって人を分断するのは国家だ。

 

人間は異なる国に生まれるのではない。生まれた人間を国がわけ隔てるのだ。

 

僕もヨーロッパ人の彼女がいるから自分の将来について考えた。きっと手続きは面倒だろう。だからといってそれが二人の関係にとってそこまで重要なわけではない。

 

鈴木さんに、自分も外国人の彼女がいて、これからその国にある大学院に行くことを話すと、ビザなどの手続きに関心があるらしく色々と聞いてきたので僕もわかる範囲で答えた。

 

僕の場合は学生での在留許可をしてから、仕事を見つけたら、労働ビザに切り替えるということになる。

「結婚しちゃえば多分むこうの国籍取れるだろうし、多少手続きは簡単になるとは思いますけどね」と僕は冗談交じりで話す。

 

鈴木さんとの会話は文化の違いに移行した。

「君もその彼女とどのくらい?1年くらいか。なら分かると思うけど、普段は普通にしてるのに、急にあれ?っていう時ない?突然怒り出したりさ。なんでキレてんの?って」と鈴木さん。

「そういう時もありますよね。」と僕。

 

鈴木さん「文化の違いっていうことだとさ、俺が仕事に行くときに嫁は弁当持たせてくれるんだけど、家に帰ったら『みんなどう言ってた?』って聞くわけよ俺に。どうっていっても、俺は一人で食べてるから、そんなん分かんねえよな。どうやら向こうでは職場の人間で持ち寄って、シェアして食べるらしいんだよな。おもしれえよな。」

 

「あとさ、俺、昔、インド人の女と付き合ってたことあるんだけどさ、インド人のカレーっていうのは味噌汁だな。味噌汁。しゃびしゃびしててさ。」

 

自分もインドに行ってカレーを食べたことがあるが、確かに日本のカレーよりも汁っぽくて、色々な具材を入れてスパイスで仕上げたスープのようなものが多い。

しかし、自分にはインドのカレーを味噌汁だと言い切るほどの器量はない。

 

鈴木さんは自らの身をもって体験した「国際交流」を自らの考え方と、自らの言語によって捉えているのだ。

それは、大学の国際交流系の授業や文化基金で企画されるようなイベントとは全く異なるものだ。

 

そうこうしているうちに午後の仕事の時間になった。午前からの作業の続き。本の入った段ボールを開け、並べていく。すべて並べ終われば、チェックと整頓をして、養生をはがす。

そこにはもう、以前からあったような図書室が完成されていた。一体この図書室を使う人のどれくらいが、僕らがやったような仕事によって図書室が成り立つことになったのか考えるのだろうか。

帰り際に、隣の部屋にいた優しそうな司書さんらしき人がお礼を言ってくれた。

こちらも頭を下げ、午後の強くなった日差しのもとに出る。

 

埃で真っ黒になった手とからからに乾いた喉。

 

大学の敷地内に自動販売機が置かれていたので、見に行く。

過冷却が謳い文句の三ツ矢サイダーが売られていたので試しに買ってみる。

結露したペットボトルの中のサイダーは衝撃を受けて、柔らかな氷の結晶を形づくる。

僕はその結晶を綺麗だと思いながら、2口で飲み干す。水分と糖分―それはまさしく僕の身体が求めていたもの―を炭酸の力で喉に運ぶ。沁みわたる爽快感。夏の始まりに流れる三ツ矢サイダーのコマーシャルみたいだと思った。

 

そのあと、勤怠表という小さな複写式の紙に、運送会社の社員からのサインをもらって(この紙をのちにFAXで送って初めて給料が貰える)、屋外で汗を吸った作業着から私服に着替えた。

 

お疲れ様でした、の挨拶をしてから各自帰路についた。

図書館移動アルバイトのエスノグラフィー(?) [1]

大学院受験も一段落したことから、時間を見つけては単発のアルバイトをどきどき入れている。この前も、大手のアルバイトサイトで「ついでに応募」というボタンを押したらひっきりなしに電話がかかってきて、派遣を含めて3つのアルバイトの登録と面接に行くことになってしまった。

大学を3月に卒業した後、夏の大学院入学まで「公式」には所属している身分がないため、派遣会社に登録する際の所属欄をどのように記入したら良いのか分からない。

「学生」ではなく、「会社員」でも「主婦」でもなく、「パート・アルバイト」といえるほどアルバイトもしていない。だからといって「無職」に〇を打つのには少し気が引ける。

何かに所属していなければならないという強迫観念、社会的圧力。

僕はとりあえず「パート・アルバイト」と「無職」と「学生」の全てに〇を打ったと思う。ちゃんとは覚えていないけれど。どっちにしたって、担当者は大して気になんかしていない。

名古屋の中心部にある駅から徒歩1分のところにあるオフィスビルの△階にエレベーターで上がる。その駅の近くには親しい友人がいるため、よく飲みに来るが、このビルにそんな会社が入っているなんて知らなかった。いや、会社なんて、どこにどんなものが入っているかなんてそもそも知らないけれど。

予約していた時間の3分前に着くと、無機質な机と椅子が並べてあり、担当者がそこに座ってくださいという。20分ほどの会社と仕事内容のビデオを見る。終始、何処かで耳にしたことのあるクラシックや洋楽、Jポップのオルゴール・ヴァージョンが流れていて鬱陶しかった。

登録会に参加していたのは、私以外に中年の女性だけだった。ちょうど会社説明のビデオを見終えた時あたりに、その女性の携帯電話が鳴って、退出した。部屋に戻ってくると担当者に登録を辞退する旨を伝え、急ぐように立ち去った。

担当者はそのことを聞いて、驚いたふりをしながらも、数秒後にはよくあることのようにして、おそらく一日に数回、これまでに数百回は繰り返しているであろうという説明を私に対して手早くした。

別で条件の良いアルバイトを見つけてから、この派遣のアルバイトは登録したっきり、仕事の依頼も断っていた。

しかし、ある日、ちょうどいつもやっているアルバイトが2日間休日だったときの1日目の夜7時頃、急にその派遣会社から電話がかかってきた。

若い女性の声で、やけに馴れ馴れしい。「明日どうしても人が足りなくて、人助けと思って働いてもらえませんか?」可愛らしい声だった。

次の日は、ジムにでも行って体を鍛えようと思っていたところだった。

そこまでいうならば、条件を聞いて承諾した。話しているときに電話口の向こう側で笑い声がした。「若い女が馴れ馴れしく電話すれば男は引っかかる」と笑っているみたいだった。

俺自身もちょろいものだと思いながら、仕事を承諾した。

「人助けのための日雇い」ってなんだろうか。電話を切ったあと、そう思った。

 

翌日の朝、指定された地下鉄の出口に集合する。

それはある大学に隣接する駅だった。

平日の朝、学生らしき若者は真っすぐと、自らの目的地に向かう。

僕はただ、担当者が来るまで適当に、待っていた。同じように、そこを彷徨っている人がいたため、話をすると、同じように派遣会社から依頼を受けて来た人だった。

5人が集まると、点呼を取って仕事場に向かう。

派遣会社に連絡をしていたリーダー格の30代くらいの男性。郵便局員に転職したいと話す40代後半くらいの男性、穴の開いた黄土色のTシャツを着た「いかにも」日雇い労働者―西成にいそうな―という感じの40代後半の男性。大学3年生だという男の子、そして自分の5人は、微妙な距離感を伴いながら、それでも同じ日雇いの仕事を請け負ったという宿命を共有しているからこその連帯感のようなものを抱える雰囲気で、ぞろぞろと歩いた。

仕事場らしき場所についてから少しして、雇っている会社のバンが到着した。

使いこまれたさまざまなもののが詰まったバンから、段ボールが地面に置かれた。

「じゃあ、これに着替えてね」と、投げ置かれた段ボールの中には、大手運輸会社の文字が入った、穴が開いてポケットが貫通している制服が詰まっていた。

ちなみに、バンには「(有)」が前につく別の会社の名前が記載されていた。

私と大学生の男の子は、ここで着替えるの?屋外だけど?、といいながら人目を気にしつつ、着替えた。

「じゃあ、若い君たちはこっち来て車に乗って」といわれ、別の場所に連れていかれた。

その人の説明によると、その日の仕事は大学内の所属建物の変更に伴う図書室の移動だった。

同じ大学構内の数百メートルのところからトラックと台車で運ばれてくる、段ボールに詰まった本や雑誌を、決められた本棚に戻すことが仕事なのだ。

 

It is the essence for life!!!

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10月にトルコへ行くためにモスクワで乗り換えしたとき、現地の友人と話したことを時々思い出す。

自分の今付き合っている人の友人で、一度ブダペストを一緒に案内したこともあるロシア人。彼女は名前をMargoといって、ロシア人にしては小柄で、ウェーブのかかったブロンドの髪に可愛らしい顔立ちを持ちながらも、とてもきっぱりとした性格の持ち主だ。

医学部を卒業して、今はモスクワで病院事務の仕事をしているらしい。

旅行が好きだが、金銭面ではやや苦労しているらしく、医学部時代はホテルのフロントの夜勤を掛け持ちしながら授業に出ていたという強者だ。

家族はモスクワではなく、そこから電車で12時間(!)の地方に住んでいるらしい。

Margoはちょうど今年からモスクワで働き始めた。

 

仕事が終わった午後5時ごろにモスクワの駅まで迎えに来てくれて、夕暮れに染まる赤の広場を案内してくれたり、その目の前の老舗デパートの中にあるBufeに連れて行ってくれたりした。

僕は翌朝7時くらいの便に乗らなければならなかったため、早めに彼女のマンションに行ってビールを飲むことにした。

Margoのマンションはモスクワの地下鉄のほとんど終点にある旧ソ連時代の集合住宅で、安っぽい備え付け家具とコンクリートの古い匂いに満ちた、薄暗い感じのする場所だった。

長く住むつもりもないらしく、生活感はあまり無かったが、電球は温かみのあるオレンジ色で、冷蔵庫にはビールとウォッカが常備されている。(ちなみにウォッカは僕が行った前日の夜に職場で嫌なことがあったために、飲み干してしまったらしく無かった。)

「これがSoviet Styleだよ、どう?」と皮肉をこめて笑う。

「そしてこれがUnited States of America」と冗談めかして、自分のベッドに掲げてある古いアメリカの地図を指さす。

彼女は留学経験も豊富で(スペイン、クロアチアなど)、英語も堪能なこともあり、できればロシアを出て働きたいらしい。

 

少し前に一緒に売店で買ったビールを飲みながらMargoは話す。

「やっぱり、EUかイギリスがいいな。でも、いつも条件に引っかかるの、”EU citizen”っていう項目に。」

 

僕は「ロシアは残念ながらEUじゃないからね」と笑う。

 

Margoは僕の彼女(ハンガリー人)のことに言及して「ハンガリーも何だかんだEUだからいいよね」という。

 

僕も「ハンガリーEUじゃなかったら、僕もそこで進学することにはならなかったと思う。」と返す。

 

「住んでいるところとか生まれたところっていうのは本当に重要だよね。」とMargoは続ける。

 

「オランダから来た韓国系の男子学生と話したことがある。

彼の親は貧乏だったか何かで、赤ちゃんの時にオランダ人の家族に引き取られて育ったらしいの。

それで彼に、私がロシアに生まれたことによって色々な障害があるというと、

彼は『人間は平等に生まれるんだから関係ないよ』っていうの。

だから私は『じゃあ、もし仮に韓国で育ったとしても今の自分と変わらないと思う?』って聞いたの、

そしたら『いや、絶対に違う』って。

じゃあ、今まで何を私たち話してたんだ、って話だよね(笑)

生まれたところっていうのは本当に重要だよ。

It is the essence for life!!! (それは人生の本質だよ!)」

 

僕も大きく頷いた。

それは、自分がハンガリーに留学していた時にも大きく感じていたことだからだ。

イタリア人の友達がパスポートも持たないで留学に来ていたことが分かったときも、そう思った。

それでも日本人向けには意外と様々な条件が緩和されていて、シェンゲン条約圏内に入るときは自動化ゲートを通れたりする。

ロシア人の彼女はきっとそれ以上に色々な障害を経験してきたのだろう。

いわゆる「白人」で、他のヨーロッパ系の人とも見かけも大して違わないから余計それを感じるのかもしれない。

「It is the essence for life!!!」

この言葉は彼女の本心から出た言葉だったと思う。

僕もこれからそう思う機会が増えるんだろうと思った。

 

普段は意識をしない国籍やパスポートが僕たちから自由を奪うとき、僕たちは国家を呪い、世界を憂う。

それは不条理にも世界の仕組みとして僕らに貼り付けられた亡霊だ。

そして今それはますます存在感を増している。

ブルーベイカー 『グローバル化する世界と「帰属の政治」 移民・シティズンシップ・国民国家』

 

グローバル化する世界と「帰属の政治」――移民・シティズンシップ・国民国家

グローバル化する世界と「帰属の政治」――移民・シティズンシップ・国民国家

 

 ナショナリズム国民国家研究で有名な社会学者ロジャース・ブルーベイカーの2001年以降の論文を選んでまとめた日本版独自の論文集。各論文のテーマに少し幅はあるものの、ブルーベイカーのエスニシティやネーションに関する理論を知るうえで有用。ちなみに監訳者の佐藤成基さんはブルーベイカーの元教え子。

目次

序章 集団からカテゴリーへ

第一章 移民、メンバーシップ、国民国家

第二章 ネーションの名において

第三章 ナショナリズムエスニシティ、近代

第四章 ドイツと朝鮮における越境的メンバーシップの政治

第五章 同化への回帰か

第六章 認知としてのエスニシティ

第七章 分析のカテゴリーと実践のカテゴリー

 

ここではブルーベイカーの理論の中でも最も重要だと考えられる「実践カテゴリー」としてのネーション、エスニシティに注目してまとめていく。したがって主に取り上げるのは第一章、第二章、第六章とする。

簡単に説明すると、実践カテゴリーとしてのエスニシティの議論とは、エスニシティやネーション、人種(ブルーベイカーはこれをあえて区別せずに分析する)が世界に客観的な指標に基づいて存在するのではなく、当事者がエスニシティを枠組みとして扱うことによって成り立っている、と考えるものである。当事者が社会文化的な構築物としてのエスニシティという認知に基づきながら人や事物、出来事を見て、考え、行為するという=実践する(ブルデューの実践の理論)ことによってエスニシティは存在しており、それを社会科学者は研究しなければならないということ。

 

第一章 移民、メンバーシップ、国民国家(2010,2015)

理念型としての国民国家

国民国家」について語るとき、その実際の多様性にもかかわらず、社会科学者も日常に生きる人びとも理念型=モデルとしてそれを概念化している。

分析的な理念型:政治的・社会的・文化的組織モデル

規範的な理念型:政治的・社会的・文化的組織のためのモデル

(←ギアツの「model of」と「model for」の用例)

国家、国民、国籍、領土、文化etc.の一致が国民国家の理念型として考えられる。しかし、実際にはそれらが一致することはなく、社会科学者が扱うものとしての分析的な理念型としてはもはや有効ではないが、人びとが規範的に使う理念型としては有効である。

 

帰属の政治を考えるうえでの4つの区別

国民国家レベルと他の次元。ブルーベイカーは国民国家レベルについてのみ分析する。

国民国家におけるシティズンシップの政治と国民国家への帰属の政治の区別。

③帰属の政治のフォーマルな側面とインフォーマルな側面の区別。公的なシティズンシップの有無と実質的な市民権・包摂は必ずしも重ならない。

④外的なものと内的なもの。国境内外の人びとへの帰属をめぐる政治。

 

国民国家の理念型としての国家、国民、国籍、領土、文化etc.の一致はしないことが現実世界では当然である。だからこそ人びとはそれらを一致させようとして帰属、メンバーシップの政治を行っている。(「日本は日本人だけのものだ」「外国人を追い出せ」など)

当然のことだが、現実の国家はこのように理念化されたモデルに合致していない。どのように合致しないのかを明らかにすることで、内的および外的な帰属の政治をもたらす要因を特定するのに役立つだろう。(p.46)

 

帰属の政治が表れる布置状況

①帝国の解体などによる国境の移動
=「所属すべき国家」ではなく、地理的な理由で囲われたネーションの存在。(ドイツ以外の国家に属するドイツ人マイノリティなど)

②外部に「祖国」をもたない周辺的ないしマイノリティ住民たちのメンバーシップの存在
=流動的で平等主義的な社会空間としての国民国家にとっての例外になる

③帝国の遺産の残存=かつての帝国の歴史によって行われるメンバーシップの政治(アメリカにおけるプエルトリコなど)

 

また、移民によっても帰属の政治は現れる。

移民は歴史的に考えれば国民国家システムが成立した時から内在的に持っている不一致だが、非時間的で論理的な意味でのみ国民国家モデルの例外として現れる。

移民は、現在という視座だけを考えると確かに、国民国家モデルにおける一致からの逸脱だが、人の移動は常に起こっていたわけで、国民国家を前提にすることによって「移民」という存在が生まれる。

 

国民国家ナショナリズム

グローバリズムディアスポラ、トランスナショナリズムに関する研究は、それに先行する外的な帰属の政治に関心を寄せていない。ポストナショナルでもトランスナショナルでもなく越境的ナショナリズムである。←批判①

先にあげた様々な一致の原理には優先順位がつけられて実践されるという変化があるが、あくまで国民国家モデルが前提にある外的な帰属の政治。

 

第二章 ネーションの名において―ナショナリズム愛国主義の考察(2004)

Cf.ルナンのネーション概念=「客観的」な指標(言語や「人種」など)ではなく主観的な指標に基づいて成立する

社会科学者は「ネーションとは何か」という問題を問い続けてきた

⇔ブルーベイカーは「「ネーション」というカテゴリーはどのように作用するのか」を問う

⇒ネーションをカテゴリー、用語法すなわち人びとがどのようにして「用いる」のか、それによって生み出される政治とはいかなるものかを問う。

私が出発点とするのは、ネーションはエスノ人口学的あるいはエスノ文化的な事実ではなく、政治的な主張であるという前提である。それは、人びとの忠誠心、関心、連帯に関わる主張である。事実としてではなく主張としてネーションを理解すれば、「ネーション」が単なる分析のカテゴリーではないことがわかる。…(中略)…ネーションとは何より実践のカテゴリーであって、分析のカテゴリーではないと言えるかもしれない。(p.66-7)

ネーションの客観的な事実に関しては不可知論的な立場をとる。そのため分析のためにネーションを用いることはせず、人びとの間で動員、実践されるというものとして分析の対象とする。

 

現在の世界ではネーションの重要性が薄れたなどという指摘もあるが(ポストナショナリズム、コスモポリタニズム等々)、国民国家の管理のテクノロジーは発達しているし、人びとの間でもネーションは唱えられ続けている。

(以下、本論文ではブルーベイカーはナショナリズムの「限定的な擁護」をするという流れだが、ここでは省略。)

 

第六章 認知としてのエスニシティ(マラ・ラブマン、ピーター・スタマトフとの共著)(2004)

 

最近(原文は2004年)四半世紀でのエスニック集団に関する捉え方は、定義可能な客観的な実体として捉える客観主義的な理解から、当事者の信念、認知、理解、同一化(アイデンティフィケーション)などによってエスニシティというカテゴリー定義する主観主義的なアプローチへと変化している。

ブルーベイカーによれば、これは認知論的転回(cognitive turn)の始まり。

 認知論的視座は、分析的な「集団主義(groupism)」(すなわち研究者が、利害関心や行為者性を付与することのできる実質的な実体としてエスニック集団を取り扱ってしまう傾向性)を避けるための資源を提供してくれるものであり、同時にまた実践的な「集団主義」(すなわち実際の当事者がエスニック集団を実質的な実体であるとみなしてしまう傾向性)の頑強さを説明してくれるものでもある。認知的視座はまた、人種、エスニシティナショナリズムを別々の研究分野として扱うのではなく、一括りの研究対象として扱うべきであるということの強い理由を示してもいる。さらに認知的視座は、エスニシティに対する原始主義的アプローチと状況主義的アプローチとの古くからの論争に対し、新たな観点をもたらすものになる。(p.236)

 

エスニシティのカテゴリー化に関する2つの研究領域

①歴史的・政治的・制度的なマクロな研究。フーコーの統治性やブルデューによる国家の象徴権力のという観点からカテゴリー化を捉える。しかし、これは人びとのエスニシティの用法が制度的なものとは必ずしも一致しないことを説明できない。

エスノメソドロジーや会話分析によるミクロな研究。エスニシティのカテゴリー化は日常の実践の中で「生起する(happen)」ものとして扱う。しかし、カテゴリー化に関する認知科学の知見を取り入れていない。

多くの社会科学の研究者は認知科学を「個人主義的、心理主義的」な心の概念を前提としているとの狭隘な認知研究理解をしているが、近年の研究は「社会心的socialmental」などそれに当てはまらないものも多く見られる。

 

エスニックな事柄が日常に現れるとき、

人々が自分たちの経験を説明し、フレーミングし、解釈する方法について、私たちは認知的な諸前提を立てている。少なくとも私たちは、人、行為、脅威、問題、機会、義務、忠誠心、利害関係などを、他の解釈図式によってではなく、人種・エスニシティ・ネーションの観点から同定することを前提にしている。(p.245)

カテゴリー化は政治的な企て(プロジェクト)であると同時に、基礎的かつ遍在的な心的過程であるため、認知科学的なアプローチが必要であるとブルーベイカーは指摘する。

認知科学におけるカテゴリー化の研究は文化的文脈、時間、対象となる集団における差異を説明できないが、認知における問題として捉えることによってステレオタイプの普遍性や情報に関する反応、判断への影響について分析できる。

 

カテゴリーは社会・文化的に共有されたものであるが、例えば認知科学における知見(恣意的に赤組・青組などと分けられた場合でも内集団バイアスは見られる)からも考えられる通り、当事者にとって「実体性(entitativity)」をもつ。

 

ここでブルーベイカーは図式(スキーマ)という認知科学の用語を用いてエスニシティを捉える。 

「図式(スキーマ)」=知識が表現される心的構造。(p.251)

文化的に共有された心的構築物としての図式は情報を表示すると同時に「処理」する。(Cf.これはブルデューにおける概念・実践感覚を明確化する)

カテゴリー化は事物だけではなく、抽象的実体にも行われる。つまり、民(ピープル)という人間をカテゴリー化するだけではなく、発話や行為もエスニックなカテゴリー化をされる。エスニックという図式に基づいて自身・他者だけでなく、出来事、行為もカテゴリー化する。エスニックな「ものの見方」。(ex.アフリカ系アメリカ人が自動車の運転をしているだけでプロファイリングされること)

 

このようにしてエスニシティは人びとの図式によって生み出され、行為されることによって維持される。客観的に分析できるものではなく、主観的に認識されたものに基づいて集団とされる。

人種・エスニシティナショナリティは世界のなかの事物ではなく世界についての見方であり、存在論的現実ではなく、認識論的現実なのである。(p.258)

そして、カテゴリー化という認知的な視点を踏まえることで、エスニシティ・人種・ネーションを単一の研究領域として扱うことが出来る。

認知科学に関する最も大きな批判として個人主義的、主観主義的であるというものがあるが、ブルーベイカーは「社会心的(socialmental)」の議論を持ち出して、「心的(mental)」な領域は個人の領域とは同一ではない、と但し書きしている。

認知的視座は人種・エスニシティ・ネーションの関係論的でダイナミックな性質を把握しようという構築主義の願望を実現するための手助けになる。認知的視座は人種・エスニシティ・ネーションをカテゴリー化し、コード化し、フレーミングし、解釈する反復的・蓄積的過程のもたらす流動的で不確定な産物として扱うからである。「人種とは何か」「エスニック集団とは何か」「ネーションとは何か」を問うのではなく、人々がいかに、いつ、なぜ社会的経験を人種、エスニシティ、あるいはネーションの観点によって解釈するのかを問おうとするのが認知的視座なのである。(p.270)

 

批判

①ブルーベイカーはディアスポラも越境ナショナリズムに過ぎないと書いているが、アパデュライなどのエスノスケープの話や、ジプシー/ロマ運動などの国境線を持たずシオニズム的な運動もしないグループを越境ナショナリズムとはいえない。後者の場合では一つのエスニシティ、ネーションとして主張することによって地位の向上を目指している。

②社会的構築物としてのエスニシティが主観的な認識によって実践されていることに疑問はないが、それを認知科学を用いることで明らかにすることには無理があるのではないだろうか。ブルーベイカーは論文の目的を、認知としてエスニシティを捉えることで新たな観点を提示する、と主張しているが実証的に取り入れてこその認知科学だろう。認知科学関係の分野で挙げられている文献を参照したわけではないが、認知科学の実験では近代的な個人主義を採用せざるを得ないだろう。その場合「社会心的socialmental」などは認知の「主体」としてどのように明らかにされるのか。そして、それはゴフマンやブルデューの理論を超えることが出来るのか。

 

この論文集でかなり引用されているブルーベイカーのEthnicity without Groupは翻訳が出ていないため原著で参照する必要。

これらの論文以降は最新刊Transで宗教に関しても分析の幅を広げているらしい。

以下ブルーベイカーの著作 

Ethnicity without Groups

Ethnicity without Groups

 
グローバル化する世界と「帰属の政治」――移民・シティズンシップ・国民国家

グローバル化する世界と「帰属の政治」――移民・シティズンシップ・国民国家

 
フランスとドイツの国籍とネーション (明石ライブラリー)

フランスとドイツの国籍とネーション (明石ライブラリー)

 
Trans: Gender and Race in an Age of Unsettled Identities

Trans: Gender and Race in an Age of Unsettled Identities

 
Nationalist Politics & Everyday Ethnicity in a Transylvanian Town

Nationalist Politics & Everyday Ethnicity in a Transylvanian Town

 
Grounds for Difference

Grounds for Difference

 
Nationalism Reframed: Nationhood and the National Question in the New Europe

Nationalism Reframed: Nationhood and the National Question in the New Europe

 

 

EASA2018に参加して

ちょうど2018/08/14~17にストックホルム大学でヨーロッパ社会人類学会(EASA: European Associasion of Social Anthroologist)の大会があり、同じ研究室のPhDの学生が研究出張も兼ねて日本から来るとのことで参加してみた。

日本の文化人類学会にも参加したことないのにいきなりEASAかよ、という感じもしたが、勉強にもなるだろうし国際学会の雰囲気を知る上でも良いかなと思って。

www.easaonline.org

今回のテーマはStaying, Moving, Settlingで、PlenaryやKeynote、Panel Sessionは移動にまつわる話が多かった。自分の興味も近いと言えば近い。

Keynoteストックホルム大学Sharam Khosravi氏のWalling, Unsettling, Stealingは自分が経験したストーリーから始まって、帝国が壁を作ること、それに伴って誰かを排除すること、排除された「他者」はFabianなどがいうように常に「遅れた」時間を生きており、国境での審査に時間がかかるようにいつも時間を「盗まれている」…。というような内容でとても面白かった。

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PlenaryやKeynoteが行われた大ホール。とても綺麗。

実際的な意味で痛感したのは自分の英語力の足りなさ。大半が非ネイティブで、ややクセのある専門的な英語を早口で話すとどのくらい理解できたのか分からない。まあみんな相互に理解しているように見えたから非ネイティブの英語とかは関係なくて、ただ自分の英語力が足りないだけなんだけど。これは課題。大学院では英語で授業を受けるためとにかく勉強するしかない。

 

それを差し置いても、話の内容は大体分かって面白く聞けるものもあった。

個別発表のPanel Sessionでは自分の卒論のための研究に完全に合致するテーマはないので自分の興味のある分野(技術、感情、マルクス生誕200年記念、マルチスピーシーズなどなど)を中心に聞きに行った。(というか人類学では完全に合致するテーマの研究者などいないし、そんな研究をやってもいけないのだが。)

例えば、David Anderson氏の研究は、先住民の動物に関するコスモロジーを特別視する傾向を批判して、西洋の考古学の研究でも「想像」が重要な役割を担っているということを明らかにするもので、切れ味がよく面白かった。

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自分としてやっぱり人類学が面白いなと感じたのは、現実を解体するような切れ味と、視点を反転させるようなラディカルさだなと。

それに関連して、これからの「民族」なき時代にどう人類学をやっていくのかというのは、人やものに注目する視点と、それを関連させる比喩の方法だったりするのだと思う。

これは浜田さんの草稿でも言われていること。

www.academia.edu

例えば、ITの革新について発表していた人の以前のテーマはジャズのアドリブだったという。一見つながっていない様に見えるこの二つのことは、不安定な異物を未来に投影させる方法とその実践という点でつながっている。

静脈の認証による移動の規制の話の最後のスライドには、静脈の網目模様と有刺鉄線の画像が並べられていた。

これはあまりやり過ぎると連想ゲームみたいになってしまうのだけど、そのくらい思考を柔軟にさせなければいけないし、それはなぜ人類学者が「他者」について書くのかという難問に関する答えでもある。人類学者のその思考が人やものを比喩でつなげて、静態的に見える現実の中で見えなかったものを明らかにし、動態的なダイナミクスを見ていく。

だから地域や民族を想定しないでも人類学はできる。(一方で同時にプラクティカルな面で場所性(ラポールや参照文献、言語…)が調査において重要なのは肝に銘じなけれならないが)

修士のテーマを考えるうえでも今後の参考になる学会だった。

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コーヒーブレイクの様子。各々が知り合いの研究者に挨拶したり、発表の議論の続きをやっていた。