Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。

ブルーベイカー 『グローバル化する世界と「帰属の政治」 移民・シティズンシップ・国民国家』

 

グローバル化する世界と「帰属の政治」――移民・シティズンシップ・国民国家

グローバル化する世界と「帰属の政治」――移民・シティズンシップ・国民国家

 

 ナショナリズム国民国家研究で有名な社会学者ロジャース・ブルーベイカーの2001年以降の論文を選んでまとめた日本版独自の論文集。各論文のテーマに少し幅はあるものの、ブルーベイカーのエスニシティやネーションに関する理論を知るうえで有用。ちなみに監訳者の佐藤成基さんはブルーベイカーの元教え子。

目次

序章 集団からカテゴリーへ

第一章 移民、メンバーシップ、国民国家

第二章 ネーションの名において

第三章 ナショナリズムエスニシティ、近代

第四章 ドイツと朝鮮における越境的メンバーシップの政治

第五章 同化への回帰か

第六章 認知としてのエスニシティ

第七章 分析のカテゴリーと実践のカテゴリー

 

ここではブルーベイカーの理論の中でも最も重要だと考えられる「実践カテゴリー」としてのネーション、エスニシティに注目してまとめていく。したがって主に取り上げるのは第一章、第二章、第六章とする。

簡単に説明すると、実践カテゴリーとしてのエスニシティの議論とは、エスニシティやネーション、人種(ブルーベイカーはこれをあえて区別せずに分析する)が世界に客観的な指標に基づいて存在するのではなく、当事者がエスニシティを枠組みとして扱うことによって成り立っている、と考えるものである。当事者が社会文化的な構築物としてのエスニシティという認知に基づきながら人や事物、出来事を見て、考え、行為するという=実践する(ブルデューの実践の理論)ことによってエスニシティは存在しており、それを社会科学者は研究しなければならないということ。

 

第一章 移民、メンバーシップ、国民国家(2010,2015)

理念型としての国民国家

国民国家」について語るとき、その実際の多様性にもかかわらず、社会科学者も日常に生きる人びとも理念型=モデルとしてそれを概念化している。

分析的な理念型:政治的・社会的・文化的組織モデル

規範的な理念型:政治的・社会的・文化的組織のためのモデル

(←ギアツの「model of」と「model for」の用例)

国家、国民、国籍、領土、文化etc.の一致が国民国家の理念型として考えられる。しかし、実際にはそれらが一致することはなく、社会科学者が扱うものとしての分析的な理念型としてはもはや有効ではないが、人びとが規範的に使う理念型としては有効である。

 

帰属の政治を考えるうえでの4つの区別

国民国家レベルと他の次元。ブルーベイカーは国民国家レベルについてのみ分析する。

国民国家におけるシティズンシップの政治と国民国家への帰属の政治の区別。

③帰属の政治のフォーマルな側面とインフォーマルな側面の区別。公的なシティズンシップの有無と実質的な市民権・包摂は必ずしも重ならない。

④外的なものと内的なもの。国境内外の人びとへの帰属をめぐる政治。

 

国民国家の理念型としての国家、国民、国籍、領土、文化etc.の一致はしないことが現実世界では当然である。だからこそ人びとはそれらを一致させようとして帰属、メンバーシップの政治を行っている。(「日本は日本人だけのものだ」「外国人を追い出せ」など)

当然のことだが、現実の国家はこのように理念化されたモデルに合致していない。どのように合致しないのかを明らかにすることで、内的および外的な帰属の政治をもたらす要因を特定するのに役立つだろう。(p.46)

 

帰属の政治が表れる布置状況

①帝国の解体などによる国境の移動
=「所属すべき国家」ではなく、地理的な理由で囲われたネーションの存在。(ドイツ以外の国家に属するドイツ人マイノリティなど)

②外部に「祖国」をもたない周辺的ないしマイノリティ住民たちのメンバーシップの存在
=流動的で平等主義的な社会空間としての国民国家にとっての例外になる

③帝国の遺産の残存=かつての帝国の歴史によって行われるメンバーシップの政治(アメリカにおけるプエルトリコなど)

 

また、移民によっても帰属の政治は現れる。

移民は歴史的に考えれば国民国家システムが成立した時から内在的に持っている不一致だが、非時間的で論理的な意味でのみ国民国家モデルの例外として現れる。

移民は、現在という視座だけを考えると確かに、国民国家モデルにおける一致からの逸脱だが、人の移動は常に起こっていたわけで、国民国家を前提にすることによって「移民」という存在が生まれる。

 

国民国家ナショナリズム

グローバリズムディアスポラ、トランスナショナリズムに関する研究は、それに先行する外的な帰属の政治に関心を寄せていない。ポストナショナルでもトランスナショナルでもなく越境的ナショナリズムである。←批判①

先にあげた様々な一致の原理には優先順位がつけられて実践されるという変化があるが、あくまで国民国家モデルが前提にある外的な帰属の政治。

 

第二章 ネーションの名において―ナショナリズム愛国主義の考察(2004)

Cf.ルナンのネーション概念=「客観的」な指標(言語や「人種」など)ではなく主観的な指標に基づいて成立する

社会科学者は「ネーションとは何か」という問題を問い続けてきた

⇔ブルーベイカーは「「ネーション」というカテゴリーはどのように作用するのか」を問う

⇒ネーションをカテゴリー、用語法すなわち人びとがどのようにして「用いる」のか、それによって生み出される政治とはいかなるものかを問う。

私が出発点とするのは、ネーションはエスノ人口学的あるいはエスノ文化的な事実ではなく、政治的な主張であるという前提である。それは、人びとの忠誠心、関心、連帯に関わる主張である。事実としてではなく主張としてネーションを理解すれば、「ネーション」が単なる分析のカテゴリーではないことがわかる。…(中略)…ネーションとは何より実践のカテゴリーであって、分析のカテゴリーではないと言えるかもしれない。(p.66-7)

ネーションの客観的な事実に関しては不可知論的な立場をとる。そのため分析のためにネーションを用いることはせず、人びとの間で動員、実践されるというものとして分析の対象とする。

 

現在の世界ではネーションの重要性が薄れたなどという指摘もあるが(ポストナショナリズム、コスモポリタニズム等々)、国民国家の管理のテクノロジーは発達しているし、人びとの間でもネーションは唱えられ続けている。

(以下、本論文ではブルーベイカーはナショナリズムの「限定的な擁護」をするという流れだが、ここでは省略。)

 

第六章 認知としてのエスニシティ(マラ・ラブマン、ピーター・スタマトフとの共著)(2004)

 

最近(原文は2004年)四半世紀でのエスニック集団に関する捉え方は、定義可能な客観的な実体として捉える客観主義的な理解から、当事者の信念、認知、理解、同一化(アイデンティフィケーション)などによってエスニシティというカテゴリー定義する主観主義的なアプローチへと変化している。

ブルーベイカーによれば、これは認知論的転回(cognitive turn)の始まり。

 認知論的視座は、分析的な「集団主義(groupism)」(すなわち研究者が、利害関心や行為者性を付与することのできる実質的な実体としてエスニック集団を取り扱ってしまう傾向性)を避けるための資源を提供してくれるものであり、同時にまた実践的な「集団主義」(すなわち実際の当事者がエスニック集団を実質的な実体であるとみなしてしまう傾向性)の頑強さを説明してくれるものでもある。認知的視座はまた、人種、エスニシティナショナリズムを別々の研究分野として扱うのではなく、一括りの研究対象として扱うべきであるということの強い理由を示してもいる。さらに認知的視座は、エスニシティに対する原始主義的アプローチと状況主義的アプローチとの古くからの論争に対し、新たな観点をもたらすものになる。(p.236)

 

エスニシティのカテゴリー化に関する2つの研究領域

①歴史的・政治的・制度的なマクロな研究。フーコーの統治性やブルデューによる国家の象徴権力のという観点からカテゴリー化を捉える。しかし、これは人びとのエスニシティの用法が制度的なものとは必ずしも一致しないことを説明できない。

エスノメソドロジーや会話分析によるミクロな研究。エスニシティのカテゴリー化は日常の実践の中で「生起する(happen)」ものとして扱う。しかし、カテゴリー化に関する認知科学の知見を取り入れていない。

多くの社会科学の研究者は認知科学を「個人主義的、心理主義的」な心の概念を前提としているとの狭隘な認知研究理解をしているが、近年の研究は「社会心的socialmental」などそれに当てはまらないものも多く見られる。

 

エスニックな事柄が日常に現れるとき、

人々が自分たちの経験を説明し、フレーミングし、解釈する方法について、私たちは認知的な諸前提を立てている。少なくとも私たちは、人、行為、脅威、問題、機会、義務、忠誠心、利害関係などを、他の解釈図式によってではなく、人種・エスニシティ・ネーションの観点から同定することを前提にしている。(p.245)

カテゴリー化は政治的な企て(プロジェクト)であると同時に、基礎的かつ遍在的な心的過程であるため、認知科学的なアプローチが必要であるとブルーベイカーは指摘する。

認知科学におけるカテゴリー化の研究は文化的文脈、時間、対象となる集団における差異を説明できないが、認知における問題として捉えることによってステレオタイプの普遍性や情報に関する反応、判断への影響について分析できる。

 

カテゴリーは社会・文化的に共有されたものであるが、例えば認知科学における知見(恣意的に赤組・青組などと分けられた場合でも内集団バイアスは見られる)からも考えられる通り、当事者にとって「実体性(entitativity)」をもつ。

 

ここでブルーベイカーは図式(スキーマ)という認知科学の用語を用いてエスニシティを捉える。 

「図式(スキーマ)」=知識が表現される心的構造。(p.251)

文化的に共有された心的構築物としての図式は情報を表示すると同時に「処理」する。(Cf.これはブルデューにおける概念・実践感覚を明確化する)

カテゴリー化は事物だけではなく、抽象的実体にも行われる。つまり、民(ピープル)という人間をカテゴリー化するだけではなく、発話や行為もエスニックなカテゴリー化をされる。エスニックという図式に基づいて自身・他者だけでなく、出来事、行為もカテゴリー化する。エスニックな「ものの見方」。(ex.アフリカ系アメリカ人が自動車の運転をしているだけでプロファイリングされること)

 

このようにしてエスニシティは人びとの図式によって生み出され、行為されることによって維持される。客観的に分析できるものではなく、主観的に認識されたものに基づいて集団とされる。

人種・エスニシティナショナリティは世界のなかの事物ではなく世界についての見方であり、存在論的現実ではなく、認識論的現実なのである。(p.258)

そして、カテゴリー化という認知的な視点を踏まえることで、エスニシティ・人種・ネーションを単一の研究領域として扱うことが出来る。

認知科学に関する最も大きな批判として個人主義的、主観主義的であるというものがあるが、ブルーベイカーは「社会心的(socialmental)」の議論を持ち出して、「心的(mental)」な領域は個人の領域とは同一ではない、と但し書きしている。

認知的視座は人種・エスニシティ・ネーションの関係論的でダイナミックな性質を把握しようという構築主義の願望を実現するための手助けになる。認知的視座は人種・エスニシティ・ネーションをカテゴリー化し、コード化し、フレーミングし、解釈する反復的・蓄積的過程のもたらす流動的で不確定な産物として扱うからである。「人種とは何か」「エスニック集団とは何か」「ネーションとは何か」を問うのではなく、人々がいかに、いつ、なぜ社会的経験を人種、エスニシティ、あるいはネーションの観点によって解釈するのかを問おうとするのが認知的視座なのである。(p.270)

 

批判

①ブルーベイカーはディアスポラも越境ナショナリズムに過ぎないと書いているが、アパデュライなどのエスノスケープの話や、ジプシー/ロマ運動などの国境線を持たずシオニズム的な運動もしないグループを越境ナショナリズムとはいえない。後者の場合では一つのエスニシティ、ネーションとして主張することによって地位の向上を目指している。

②社会的構築物としてのエスニシティが主観的な認識によって実践されていることに疑問はないが、それを認知科学を用いることで明らかにすることには無理があるのではないだろうか。ブルーベイカーは論文の目的を、認知としてエスニシティを捉えることで新たな観点を提示する、と主張しているが実証的に取り入れてこその認知科学だろう。認知科学関係の分野で挙げられている文献を参照したわけではないが、認知科学の実験では近代的な個人主義を採用せざるを得ないだろう。その場合「社会心的socialmental」などは認知の「主体」としてどのように明らかにされるのか。そして、それはゴフマンやブルデューの理論を超えることが出来るのか。

 

この論文集でかなり引用されているブルーベイカーのEthnicity without Groupは翻訳が出ていないため原著で参照する必要。

これらの論文以降は最新刊Transで宗教に関しても分析の幅を広げているらしい。

以下ブルーベイカーの著作 

Ethnicity without Groups

Ethnicity without Groups

 
グローバル化する世界と「帰属の政治」――移民・シティズンシップ・国民国家

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