Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。まだまだ勉強中なのでご教示ください。

オークリー『旅するジプシーの人類学』

旅するジプシーの人類学 (晶文社アルヒーフ)

旅するジプシーの人類学 (晶文社アルヒーフ)

 
目次

はじめに

第一章 古くなった分類と描写

第二章 誤り伝えられる最近の姿

第三章 アプローチの方法

第四章 片隅の経済活動

第五章 自己帰属の問題

第六章 象徴の境界

第七章 ゴールジョによるサイト設置計画

第八章 流浪

第九章 トレイラー・ユニット、夫婦と子どもたち

第十章 グループ間のつながりと個人の親類縁者

第十一章 ジプシーの女性

第十二章 幽霊とゴールジョ

むすびの言葉

概要

 ジプシー研究の古典。ジュディス・オークリー(1944‐)はイギリスの社会人類学者で、本書は1971‐73年にかけて行われたフィールドワークをもとに1983年に出版されたもの。翻訳は1986年。

 まず本書が評価できる点は、接触が難しいといわれるジプシーを対象に長期の住み込みによるフィールドワークをすることによって、ジプシー社会内部からの視点を中心として広範な記述が行われていることである。ジプシー研究自体はかなり多く行われているが、ジプシー内部に入り込んだ人類学的研究というのはそこまで多くない。本書の内容は充実しており、社会人類学の伝統的な分野である親族形態の分析から穢れと象徴、経済活動、アイデンティティなど多岐にわたる。

 次に評価できる点はジプシーと呼ばれる人びとを独立した文化をもった民族として描くのではなく、常に社会のマジョリティとの関係によって成立し維持されている集団として捉えていることである。オークリーまでの研究、いや現在の研究に至ってもジプシーを独立した民族として他者化、本質化しているものは多い(本書第一章)。しかし、オークリーは本書において、ジプシーを捉えるために非ジプシー(ゴールジョ)との関係性・対照性に言及しながら記述をしている。

 本書の多岐にわたる詳細な記述内容を逐一要約することはここではせず、評者の関心に基づいて本書の内容をピックアップしたい。

ジプシーとは誰か

 まず、日本にはジプシーと呼ばれる人はいないため前提から整理する。ジプシーと呼ばれる人びとはヨーロッパ、バルカン半島アメリカ大陸をはじめとして世界中広く分布している。ジプシーという名称は彼らが15世紀頃に西欧に現れた時に「エジプトから来た」と言ったことに由来しており(エジプト→ジプシー)、外名exonymである。ちなみにこの点においてジタン、ヒターノ、ツィガーニなどはジプシーと同じ人びとを指す。これらの名を音楽や文学などで目にした人も多いだろう。

 ジプシーとは言語学者などの調査によってインド起源説が存在するが実際のところその起源の妥当性についてはよく分かっていない。現在、ジプシーナショナリストやInternational Romani Unionなどの政治的な意図を持った活動家はジプシーを「インド起源の一つの民族」として主張することがあったり、オリエンタリズム的な幻想を持ちたい人はこれを受け入れていたりするが今のところ科学的根拠はない。外見についても非ジプシーとの差が分からない場合が多く、ジプシーの言葉であると言われているロマニ語を話すジプシーは全体の割合に対して少なく、ジプシーの象徴であるとされる移動生活をしているものも少ない。しかし、これ自体も地域によってかなり差がある。

 本書で扱っているイングランドのジプシーは移動生活を行うものが多く、ロマニ語を話す人も多数であるとのことだが、だからといってジプシーを一つの文化を捉えることはできない。本書が指摘しているとおりに非ジプシーがジプシーになるときもあるし、逆もまた然りである。

 つまりごく簡単に言うとジプシーとは曖昧な集団なのである。誰がジプシーかということをはっきり言うことはできない。しかしながらも、歴史的にジプシーはジプシーとして捉えられてきたし、ジプシーも自らをロマ、トラベラーズ…などと自称し、周囲のジプシー以外の人びとをゴールジョやガジェなどと呼んで区別してきた。(本書のジプシーは自らをジプシーまたは流浪生活者(トラベラーズ)、非ジプシーをゴールジョと呼んでいる。)

 では、このようなジプシーをどのようにして捉えればよいのだろうか。

本書における分析の仕方

 オークリーはそれまでの研究者や政策決定者、一般人の「ジプシーは孤立した文化を持つ民族である」との考え方を否定する。

孤立という概念からすると、分離していて、しかもそれ自体で完全な「文化」であるものが存在すると考えなければならない。変化の兆候が見えると、それは独立を失ったと解釈され、発展すると、それは崩壊だと説明されてしまうのである。…(中略)…すっかり隔離されたグループであると想像すると、それが生物学的にはっきり分けられる、別の「人種」であるとさえ考えられてしまう。「混血の子孫」を生み出すグループの外への結婚と、グループに入り込んでくる結婚は、遺伝的な差異とともに文化の変化をもたらし、しかもぴったり平均がとれていると考えられるのである。(pp.65-66) 

  人類学的にはここで批判されているような「文化=人種/民族は独立している」というような考え方は遅くとも90年代には明確に唱える人がいなくなったように思うが、意識しないところで、あるいは一般的な言説の中でこのような考え方は根強い。

 では、これを批判したうえでオークリーはどのようにジプシーを考えるのか。

西側の資本主義国内に住むジプシーつまり流浪生活者が、経済的文化的に、また人種的に孤立しているという考え方は、ほとんど当っていないと思われる。…(中略)… 彼らはより大きな経済にたより、そのなかで彼ら自身だけのはっきりした活動範囲を手に入れるか、つくり出すかしてきたのだ。ジプシーは、より大きな経済と社会のつながりにおいてはじめて、グループとして生き残ることができるのである。…(中略)…したがって「インド」起源などという主張をさらに練り上げるよりも、彼らがいま生存しているいろいろな国にジプシーが姿をあらわし、そのまま居続けているのは、いかなる政治的、経済的状況によるのか、この点を調べる方がもっと適切なことである。(p.66)

 このように、ジプシーを独立した経済・文化を持った集団として捉えるのではなく(そもそもそんな集団などどれだけ存在するのか)、ジプシーがジプシーとして存続しているという現実を考えるうえで非ジプシーの主流社会(より大きな経済と社会)との関係が重要なのだという。

では、ここで第五章「自己帰属の問題」を見てみよう。

まず、はじめにジプシーがジプシーの内部でどのように規定されるのかを見る。ジプシーはよく「肌の黒い」ことがよく特徴としてあげられるが、オークリーはジプシーは非ジプシーと肉体的な特徴での区別はできないという。では、ジプシーはどのようにしてジプシーとなるのか。それはジプシーや流浪生活者(Traveller)と呼ばれているグループが、自分をジプシーだと自称するものをメンバーとして認めることにあるという。(p.122)

ちなみにここでジプシーと流浪生活者とを並列しているのは、彼ら自身が文脈によって自分たちの呼び方をジプシーとしてや流浪生活者として変えることがあるからである。

それはゴールジョとの関係(たとえばトレーラーを泊めるサイトにゴールジョが来たとき)に拠る。また、ロマニという名称や出身地などもゴールジョとの関わり合いの中で変化させて言明する。

結論としては、みずからを流浪生活者つまりジプシーと呼ぶ人たちは、外部からのカテゴリーの影のなかで生きのびてきたわけであり、また、そのカテゴリーを適宜にゆがめてきたのである。(p.137) 

 同様に、彼らの経済活動も主流社会との関係の中で行われている。

具体的な活動内容については第四章を参照してほしいが、スクラップ集めや行商、占いなどの仕事は主流社会の「片隅」に位置している。またこれを「インフォーマル(略式)経済」とも書いている。ジプシーは雇われることを嫌いつつも、社会の状況に順応しつつ経済活動を行っている。

興味深いのは、この経済活動の中でもジプシーは自らのイメージを操作する。例えば占いをするときには異国情緒をそそるような服装をし、道路舗装の仕事のときにはジプシー出身であることを隠すという。(p.111)実際、このためにジプシーが行っている仕事は一部しか見とめられないことがある。

 

このようにしてジプシーの内側に入り込みながら、オークリーはジプシーを独立した文化社会を持つ集団としてではなく、ゴールジョとの関係の中で成り立っている集団として詳細に記述している。

これはそれまでのオリエンタリズム的な研究とは一線を画す、人類学的な研究の結果であると言えるだろう。 

 

以下ジプシーについて興味のある人向け

 2017年に人類学者の左地亮子さんが書いたもの。スペインの国境近くのフランスに半定住しながら住むジプシーについての話。なぜ移動をするのかということと、それにも関わってくる共同性の話を文化人類学的な観点から。当然オークリー1970年代のイングランドのジプシーの話とはかなり違う。

マヌーシュについては自分が所属している研究室の映像コーナーに大森康宏さんの1977年の映像作品があって、とても面白かった記憶がある。と思って改めて調べてみたら民博のサイトで無料で見られるようだ。

www.minpaku.ac.jp

 

ジプシーを訪ねて (岩波新書)

ジプシーを訪ねて (岩波新書)

 

 これは学術書ではないが色んな国で「ジプシー」またはそれにちなむ名前で呼ばれている人を訪ねていった話。同じように呼ばれていても全く違う様子が描かれていて読み物として面白い。

 

ジプシー 歴史・社会・文化 (平凡社新書)

ジプシー 歴史・社会・文化 (平凡社新書)

 

実はまだ未読だけど水谷さんは翻訳も多く出していて多分日本で一番有名なジプシー研究者。

ニューエクスプレス ロマ(ジプシー)語《CD付》

ニューエクスプレス ロマ(ジプシー)語《CD付》

 

いくらマイナー言語を扱うニューエクスプレスでもロマ語が出るとは思わなかった。角さんはルーマニアでロマ語を教えているらしい。ロマ語といっても各国でジプシー呼ばれる人が皆使っている訳では到底なく、ジプシーは住んでいる国の言語しか話さないことがほとんど。ではなぜロマ語というものが体系的にあるのかというと標準ロマ語を整えようとするプロジェクトがあるから。