Anthropology and feeling’s diary

人類学に関する本、日常で思ったことなど。

アドリアナ・ペトリーナ『曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民』

 

曝された生

曝された生

 

 最大規模の原発事故後、放射線を大量に浴びたウクライナの人びとは経済状況も破綻している社会でどのように生き延びたのか。

そこに「科学」はどのように介入したのか。

生々しさと冷静さが入り混じったエスノグラフィー。

 

目次

彼らはどうやって生き延びたのか―二〇一三年版への序

第一章 チェルノブイリ後の生政治(パイオポリティクス)

第二章 専門家の過ち―生命とリスクの見積もり

第三章 歴史の中のチェルノブイリ

第四章 仕事としての病い―人間市場への移行

第五章 生物学的市民権

第六章 現地の科学(ローカル・サイエンス)と生体的(オーガニック)プロセス

第七章 自己アイデンティティと社会的アイデンティティの変化

第八章 結論

 

キーワード

300頁を超える分量で、本書を理解するうえで重要なポイントは章ごとで完全に分かれるようにも書かれていないため、ここでは4つのキーワードをピックアップする。

放射線のリスク

②科学・医学のでき方

③生権力

④生物学的市民

 

放射線のリスク

1986年4月26日、チェルノブイリ原発4号炉の爆発。

当時の書記官ゴルバチョフは核の放出を認めるまでの間に18日が経過する。(p.32)

事故現場に近い市民、事故処理活動を行っていた60万人(かそれ以上)作業員が長期にわたって被爆する。

立入禁止区域(ゾーン)での作業は当時の平均よりも格段に良い給料が貰えるため、基準値の被爆量を超えて働く作業員も多く、また管理もされなかった。

政府は事故の保障の責任をなるべく認めたくないため、政府による調査のデータには影響が出る。

一方、市民は保障を受けるために様々な放射線の影響を訴える。

このように政府の政治的な状況や、国民の経済的状況を巻き込んだ事故後の状態によって放射線の影響の生物学的不確実性は増加する。

少し長いが本文から引用。

 環境汚染地図の作成、個人および人口レベルでの被爆量の測定、病気の訴えの調停といった行政的・科学的介入によって、チェルノブイリ後の経験はそれを取り巻く官僚機構や法的枠組みをめぐる複雑な政治的・医療的経験として再編されることになった。災害の規模と生物学的影響を検証した当初の―賛否の分かれた―科学的・医学的調査、事故の公表を遅らせるという選択、ゾーン内で働く経済的インセンティヴといった事情により、チェルノブイリは独自の「科学技術が生んだ大惨事」の相貌を呈してきた。…単に過剰な放射線被爆ばかりでなく、政策による介入そのものが新たな生物学的不確実性を増幅させてきたということをこの言葉は示している。(p.34)

このように、様々な状況が絡み合うことで、放射線が人体にどのくらい影響するのかについて(「客観的」に)明確な答えを出すことはますますできなくなっているのである。

はっきり言って「よくわからない」というような状況。

そして、このような状況を前提として科学・医学はできてくる。

 

②科学・医学のでき方

そもそも、放射線を人がどのくらい浴びたかということを事後的に判断することは難しい。基礎科学で行われている研究でも専門家の意見は分かれるという。(p.75)

さらに①で見たように、当時の状況によって放射線の不確実性は増加しており、ますますわからない。

 

このような状況で科学・医学は放射線について測定し、診断し、保証の対象にするか否かを決定しなければならない。

 

しかし、放射線とそれに伴う身体被害に関する知見というものは曖昧だ。

被爆したことによる白血病を例にするならば、どのくらいの白血球の増加を、どのくらいの期間にわたって測定するかによって、患者がどのくらいの放射線を浴びたのかという診断は変わってくる。

そしてどのくらいの放射線を浴びたことで「患者」として認定し、検査・治療するのかも現地の状況で変わってくる。(実際、当時の医療現場では急性放射線症(ARS)の基準値が200レムから250レムへと引き上げられた。p.83)

 

このように放射線を受けた人体についての科学的な知識というものはそれぞれの専門家も一致した見解を出すことは難しいし、実際のところまだよく分からない。

それぞれの立場、状況、過去データの使用方法、健康の概念(証明されたものととらえるか、予期されるものととらえるか)…など様々なことによって変わってくる。

もちろん、新しい技術や研究費が手に入るにしたがって新しい知識は打ち立てられるが、現在のところ、ダメージの正確な値について、完全とよぶにはほど遠い知識しか持ち合わせていない。(p.43)

 

ここで問題となってくるのは、それにまつわる権力である。

しかし、 ある程度確実に言えるのは、科学的知見形成のプロセスは様々な形の権力を正当化し、さらにそれに対して解決策を与えたりしながら、そうした権力と切り離せないものとなっているということだ。(p.43)

 科学ができるとき、医学が診断をするとき、そこには少なからず政府などの権力が影響する。

 

本書の事例を挙げる。(p.84)

事故から一か月ほど経ったとき、ソヴィエト保険証の指導者は、国内の医療関係者の活動をすべてコントロールできずにいた当時のウクライナ保健大臣、アナトリー・ロマネンコに命令を出す。その内容とは、放射線関連の訴えをフィルターにかけるために、科学・医療行政担当者に、植物神経失調症という診断名を用いるように指示をしろというものだった。

植物神経失調症とはソヴィエトの病気の分類法では「精神的要因や、汚染、ストレス、または大気などの」環境要因で発生する病気のことを示す。動悸や吐き気を伴うとする。

これは、大量の「放射線を受けたことによって」引き起こされる急性放射線症(ARS)と同じ症状といえるが、原因が異なる。植物神経失調症では「環境」影響として誘発されるものとされるのである。

つまり、「放射線の影響」と診断することは明らかな保証の対象となるが、「環境の影響」とすれば保証は少なくてすむ。

そして、それに従って現地の医師たちはその通り、様々な症状で入院した7万5000人全ての入院患者に対して「植物神経失調症」と診断したのである。そして、このような現象の前提には放射線について「わからない」ということがある。

このような当局の介入は 、すでに述べたソヴィエトの放射線モニタリング調査の力学も増強させた。つまり、知見がないということが、権威者側の生物科学的知見を浸透させるのに重要だったのである。〔被爆量測定〕技術の欠如は、このようなプロセスに都合がよく、また、ソヴィエトの行政当局が、事故後の状況に一般市民を適応させようとするプロセスにも都合がよかった。(p.85)

このようにして、 科学・医学は権力の作用を受けながら、放射線による影響を測定、診断していった。

逆に言えば、科学・医学は独立したものではなく、常に権力というアクターを含んでいる。

 

③生権力

このように見られる科学の在り方はフーコーの「生権力」という概念を使うとより考えやすくなる。

生権力についてペトリーナはつぎのようにまとめている。

生権力は生命に対するコントロールを意味し、「生とそのメカニズムを明示的な計算の領域へと持ち込み、知‐権力を人間の生の変容をもたらす媒介にした」ものを指す。(フーコー 1980 ただし本文p.46よりそのまま引用)

この権力は規律・監視の客体としての人間の身体のレベルと、規制・コントロール・福祉の客体としての人口集団の二つのレベルで作用する。(粥川による解説pp.319-320も参照)

つまり、フーコーが前近代から近代への権力形態の移行を、生を奪うような死への権力(処刑など)から、生きているものへの管理・統制の権力への移行として考えたように、チェルノブイリでは生きることへの権力の介入が見られる。

そして、権力と科学・医学のような知は切っても切り離せないものとして存在する

 

②の事例でみた通り、このような知‐権力は個人に対して診断・保証を決定し、リスクのある集団(例えば事故現場の作業員)に対しては代償を曖昧にしたままにするなどして作用している。

 

④生物学的市民

以上のようにして、放射線に曝され、かつ権力のもとに置かれた市民たちはどのようにして生き残ったのか。

ここでペトリーナは生物学的市民権(バイオロジカル・シティズンシップ)という考え方を用いてチェルノブイリの人びとの生きるありさまを分析する。

そもそもシティズンシップ(citizenship)とは市民であるということの条件と権利、それが国家から承認されている状態のことと考えてよい。

市民であることのメンバーシップ。

それをチェルノブイリの「市民」(全国民とは一致しない)は生物学的なものによって得ているのである。

 

これについて理解するためには事故後にウクライナソ連から独立した経緯も考えなければならない。

国民国家(nation-state)が成立するための条件として民族(ナショナリティもしくはエスニシティ)をあげることは多い。一つの国民(民族)に一つの国家があるというものが、近代的な国民国家の一般的な形だと考えられている。

しかし、ウクライナの場合はウクライナ人、ウズベク人、エストニア人などの様々な民族(ナショナリティ)がおり、グローバル化の流れもあって強固な国民国家ソ連から独立して作ることは難しいと考えられた。(p.58)

ましてやチェルノブイリという大惨事が起こったときにどのように国民国家を形成するのか。

 

ところが、ウクライナ国民国家として成立するためには逆にチェルノブイリこそが重要な役割を果たしたのである。

「古典的市民権」である市民の自由、人権、参政権に加えて、ソ連の事故処理の批判とともに国民に対してチェルノブイリの保証、福祉の充実を約束し国家としての政治的正当性を主張したのだ。

そして後者には生物学的な知識が不可欠である。

こうした国家建設の時期、生命科学の知識が国家建設のプロセスと安全な生、社会的平等、人権を保証する新しい政策の確立とにおいて、いかに欠くことができない媒介手段となったかを見てとることができる。(p.59)

このようにしてウクライナは1991年に独立した。

それに伴い、被爆量の基準が下げられ、ますます多くの人びとが補償と社会保護の制度に参加することになった。年金と社会保護に充てる国家予算の大半をチェルノブイリ事故の被災者に支給し、約350万人の被災者が支援の対象となった。

 

そして、国民の側もチェルノブイリの補償によって生き残りを図る。

経済状態が非常に悪い中で、社会主義の最低限の生活の保証もなくなったウクライナでは被災者となることで文字通り生きようとする。

ペトリーナがインタビューした放射線センターの診療医はこういった。

「ここで最悪なのは、健康でいることです。」(p.138)

これについてペトリーナはこう分析する。

今日「健康」でいることは国に見捨てられた孤児になるということであり、なんの社会的支援もないまま市場にさらされるということを示唆している。「病い」は、失業や社会の混乱により生じる予測不可能な状況から身を守る手段を与えてくれる。人々は見捨てられないよう必死になって国家との繋がりを維持し、ソヴィエト型市民から生物学的市民(biological citizen)へと自ら転向しているのである。(pp.138-139)

民族誌では様々な人びとが障害認定を受けるためにどのように行為、実践しているのかを緻密に描いていく。

ここでも、障害認定に必要な科学的知見は放射線による障害が「よくわからない」ものとして存在している。

被爆した本人あるいはその子どもに起こる、様々な体の不調がある。しかし、それは放射線に浴びたから発症したのか、しなくても発症したのかよくわからない。

さらに、様々な条件に置かれた(例えば職場が近かったなど)人びとが、様々な程度の不調を訴える。

では、何をもって診断すればよいか、どこに線引きをするのかは難しい。

もちろん、医療機関にはそれなりの基準があるはずだが、それは権力の作用を受けたものであり、時々変更したりする。

賄賂を送ることで診断が変わることもある。

検査結果の証拠書類をいくつも用意し、症状に対して同情を誘うように診察を受けることによって被災者のステータスをもらおうとする。

このような中で、どのように人びとは自らの生物学的なものを利用し、利用されるのか。

これが「生物学的市民」の生きるありさまである。

 

 

それぞれのまとめは以上。

本書が各ポイントのそれぞれがつながっているチェルノブイリの状況について着眼点を移しながら記述していくスタイルだと思いながら読むと理解がはかどるかもしれない。

 

追記

原発事故といえばやはりフクシマを思い出さざるをえない。

2013年版への序では、フクシマの状況について言及している。

また、本人による短いインタビュー記事もある。

omnia.sas.upenn.edu

フクシマについて、チェルノブイリから考えられることも多いはずだ。

原発作業員の線量の管理の不徹底や、放射線についての情報が出てこないことなどはどこでも起きる。また、本書で描かれている通り、放射線の影響について「よくわからない」ことばかりだ。

ヒロシマナガサキで長期的な経過観察をしたように、フクシマについてもチェルノブイリを参考にしながら、長期的に注視しなければならないだろう。

曝された生

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